『愛媛実践塾・第]T期生・第最終回の宿題レポート』         2008年7月19日 登録

テーマ 「ネパールの煙突計画」

「ネパールの煙突計画」を読んで

最初これを読む前はネパールの煙突計画と今回の愛媛実践塾とどう結びついているのかわからなかった。
失礼な話ネパール行きは先生の道楽?とも思っていたのでそう思っていたのであるが、まったく違って
いて「やってみて考える」ということを実践していることだと読んでみてわかった。文章の最初のころに
ある「ネパールに必要なものは「薬」か「煙突」か」という問題に対して先生は問題の本質を見抜いた上
でドクターに自分で問題の本質をみつけさせたことに意義があることだと思った。ネパールの衛生環境を
改善するのは足らない薬が問題の本質ではなく、煙突がないために家中が煙で充満しそれが健康に対して
悪影響を及ぼしていることを見抜いていたからドクターを言葉巧み?に問題の現場に連れて行きドクター
自身に問題の本質を気付かせることで目先の解決ではなく本質的な解決につなげていくことができたんだ
と思う。(ビデオでみた沢内村の村長と同じですよね)よく自分は現場では問題に直面した時に、ついつい
答えを先に自分で言ってしまい部下の成長を妨げたり、答えを相手に納得させることができなかったりする
ことがある。自分で考えて答えを引き出すことが本来いちばん大事にすべきことで、正解を教えることだけが
正しいことではないのである。自分の苦手なところでもあるのだが部下に気づかせて行動させることこそ
自分たち管理職には必要なことで、これから会社でも求められてくるところだと思う。「名ばかり管理職」
なんて自分の会社を揶揄して発言して面白がっていたが、自分の仕事の内容自体が「名ばかり」のマネージ
メントであり本来会社が求める管理職にはまだまだ遠いと感じさせられて少し恥ずかしく感じている。早く
「名ばかり」がとれて胸をはって管理職と言えるように問題の本質を見抜き、部下に対して「やってみて考える」
ことができるようにすることが自分に対してのこの研修の集大成だと思っている。したがってまだまだ研修は
続いているんだなあとこの文章を読んで感じた次第である。

坂部先生、事務局田村さん、渡辺さんへ
今回の研修を通じて自分では成長したかどうかは正直わかりません。けれどなにか自分の心の中でなにか芽生えた
ものがあるような気がします。これから仕事をしていく上で必要な物事の考え方を教えていただいたことがその背景に
あると思うのですが今後の仕事にはいい影響であったと感じています。今後これを日々実践し身につけていく
ことで時間がたってその研修が自分の仕事内容の変化の分岐点であったと思える日がくればいいと思っています。
最後に5ヶ月間「みょーな」高知県人の「へんくつもん」につきあっていただいてありがとうございました。
    
     ps:刺身は「引く!!」

                              サニーマート高岡店副店長 八木 良文

八木良文さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第1番目の到着でした。
ありがとうございました。

八木良文さんが仰っている通り、
なぜ坂部正登の「ネパールの煙突計画」が、
「実践塾の卒業レポート」の宿題になるのか、
読んでみるまでは分からなかったでしょう。

八木良文さんがこの「ネパールの煙突計画」を読んで、
「やって・みて・考えるという問題解決法なんだ」と気づかれ、
自分でも職場で取り組んでみようと思われたことが、
八木良文さんらしくって「一途に自分の側へ引きよせる」
ってところがいいですね。
(感動したことは何でも「自分側に引く!!!」八木方式と云う)

しかもこの「読後レポート」の中で、
現代の日本社会での問題点の一つである、
「名ばかり管理者」への八木さんの反応が凄いですね。
僕も今の日本社会の「名ばかり管理者扱い」は、
ほとんどの場合「会社側が怪しからん」と思っているのですが、
八木良文さんのとらえ方は角度が鋭く深い。
八木さんいわく「名ばかり管理者」のそのほとんどは、
「名ばかりマネジメントしか出来ない、
ノーマネジメント管理者ではないか」との指摘は、
新聞でもテレビでも誰も云っていない「価値ある発言」です。
僕が「愛媛実践塾・第]T期」の最終日にお話しした、
船場吉兆と巨人とを結びつけた豊田泰光さんと同じレベルですよ。
八木さんの「名ばかりマネジメント」という「発想のレベル」は!!!
これを八木良文さんの「宝物」として高岡店の前進のために、
頑張って下さい。期待しています。

ではでは。

 

ネパールの煙突計画を読んでの感想


2008年5月30日
                                      セイレイ工業梶@林 有

   ネパールの田舎では、電気もガスもなく薪でごはんを作るとあり、その薪も余分に取ってきて干して使う程の余裕がなく、なまの薪を炊く事で煙と埃の中で生活している結果、目は煙によって充血し、耳の中は入り口までごみがたまり、喉もいがらっぽくある状態からドクターは「医薬品が必要」と書かれていました。しかしその現場に直接立ち入り自分で感じた結果、本当に必要な事は「煙と埃を無くす事」とありました。これが「人ばなれせよ、ものばなれするな。」なんですよね。目先にとらわれていては真因にたどりつく事は困難で、一時的な問題解決にはなるかも知れませんが、モグラたたきのように次から次へと問題が再発する事は明白です。ここからは、その問題を課題にかえて実行に移してると思うのですが、「煙突はネパール人の手で」というのがすごいと感じました。日本は発展途上国にいろいろな援助をしていますが、多くは金銭援助や物資支援といったバラまきが多く、その国の人が自立できるような支援は少ないと感じます。やはり、その国の問題は、その国で解決しないと一人前に自立できず、いつも他力本願的な体質になると思います。
   本書では、まず土管づくりから入ってますが、土質のせいでうまくいかずに煙突用の土管を焼いているマン・カジさんを尋ねています。最初は警戒心をもっていた彼も、現状の煙突の問題点を共有したことで警戒心をとく事となり、政府のストーブ計画の担当者を紹介してくれ、その担当者からネパールの「煙突の歴史」や「煙突の普及活動」を聞くことができています。まさに関係者をまきこんでの問題解決の第一歩と言えるのではないでしょうか。その時点で、現在までの評価を行い、創造性教室としての役割をこの時点で修正している事がわかります。その状況に応じて現状の評価を行い、計画修正する事で課題も変わってきていますが、それが明確になっているので次の行動に素早く移れるものだと思いました。
   本書を読んで、本来の目的をしっかり持つ事、それを達成するための方法、方法も理念をしっかりと持つ事で本来の目的とは別の副産物が、やり方によっては産まれるという事もわかりました。自分の職場にいいかえれば、改善すべき課題を設定し、その課題に対してチームマネジメントで取り組むか、ノーマネジメントで取り組むかによってその副産物が生まれるかどうかが決まると思います。
   今回、愛媛実践塾に参加して管理監督職としての役割というものを認識させられました。
   今後、そういった役割にいる以上、みんなをひっぱり、問題解決を進める場合には、「事実から学ぶ」「体験から学ぶ」「失敗から学ぶ」を頭に焼き付けチーム全員で取り組みたいと思っています。
   また、異業種の方々と接し、それぞれの職場においての問題を聞かせて頂き、またそれを今回の課題に設定し、いろいろな方向から調査し解決策を模索するにあたっての考え方や自分の主張など、非常に貴重な体験だったと感じています。
   最後になりますが、坂部先生からはいろいろな事を学び大変感謝しております。ありがとうございました。

林有さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第2番目の到着でした。
ありがとうございました。

「ネパールの煙突はネパール人の手で!!!」
林有さんはこの言葉に痛く感動している。
まさに林有さんが云うとおりで、
その国の問題は、
「その国で解決しないと一人前に自立できず、
いつも他力本願的な体質になると思います」…と。
そういう意味で現今起こっていることを考えてみると、
ミャンマーのサイクロン被害や中国四川大地震に対する、
日本政府の復興援助の方法は「危なっつかしい限り」ですね。
また先日横浜で始まった「アフリカ開発会議」とやらいう、
日本政府主導の意味不明にこの会議も、
「ODA資金を倍増するから常任理事国入りに賛成してくれ」
という裏取り引きの交換条件で開かれているのだが、
どっこい「現実に国連で常任理事国入りの選挙となったら」
「必ずやしっぺ返し」を喰らうのが落ちであろう、
というのが僕の見解です。
なぜならば、
「ここには一つも本質を打抜く問題提起」というものがなく、
「哲学皆無」…「国民にはまったく本質が見えない」からです。

そういう意味で考えてくると、
林有さんのところの生産現場で起こっている問題点も、
「現場の問題は現場の人々の手で」という「旗印」が、
林有さんの手に掲げられていいように思うのだが、
如何であろうか。
生産管理・生産計画の林有さんたちは、
「現場の人々の手で」というスローガンを支援し、
援助するのが任務だと僕は思うのだが…如何。
「実践塾」で学んだことを自職場で実践していくことを誓ってくれた、
林有さんだから切に期待して居るのです。
チームマネジメントこそが「現場とあなたを生き返えらせる」、
最適の方法だと思うからです。
自分の人生を掛けてみようではありませんか!!!

ではでは。    (by 坂部正登)。

 


ネパールの煙突計画を読んで

平成20年6月1日
井上文江

 「ネパールに煙突を」と言う話を何度か坂部先生から聞きました。しかし、今回頂いた本を読み、イラストを見ることにより先生の話が私の中に落ちてきました。
 「ネパールの煙突計画」そのものが、今の自分に置かれた立場と重複することが沢山あります。「ネパールの山村の問題点は何か」と議論の中で、Dドクターは「ネパールには薬が足りない」と言われた。そのために「日本へ帰ったらネパールへ医薬品を送る運動をしなくちゃ」と考えていた。この議論の中で、いくら煙が原因で病気になっていると説明してもDドクターは納得されないと考え、いつも先生が言われている「事実から学ぶ」をDドクターに体験してもらうことにより「ネパールの山村の問題点は何か」を理解してもらったのだと思います。
私も、Dドクターと同様でした。転倒・転落、注射の間違い等のレポートを毎日読んで、「転倒・転落の危険度が高いことが分かっているのに・・・。看護計画に立案しているのに・・・どうして」とか「注射の準備、実施の手順をどうして守れないの・・・」と人離れできず、「どうすれば転倒・転落が減少するのか、注射の間違いが減少するのか」と考え、病棟訪問し看護長に説明・指導する時も私の考えを押し付けていたように思います。事実から学ぶために現場へ行くことは大切であると言うことはわかりましたが、現場へ行って事実をつかむ為の方法が私には見えてきませんでした。病棟訪問しても看護長・看護師も忙しくしていれば声を掛けるのでさえ躊躇します。提出されたインシデントレポートへの関わりがこのようなことで良いのか、このような関わりでインシデントの件数が減少するのか等、自問自答し1年間が過ぎたような気がします。リスクマネージャーとして2年目、本年度から一人でリスクマネージャーの仕事をすることとなり平成19年度の評価をした時、データをみて驚くことばかりでした。いかに、データを上手く活用し部署に返していなかったのか、データを分析し部署ごとの傾向などを自分自身のものにしていれば、もっと自身を持って関われたのではないかと反省しました。そこで、平成19年度の部署のデータを返し、自部署の傾向を知ってもらって、今後リスクマネーシャーとしての関わり方を看護長会で報告しました。ここで感じたことは、8年間リスクマネージャーが行ってきた方法を2年目の私が変えることの大変さでした。ネパールでの「伝統的な文化を保持している地域社会の中で、その構成要素の一部分だけを破壊してしまうことにつながりかねません。ましてや、それが外国人の単なる思いつき的着想でなされてよいものではありません。」と同じです。「全部署のインシデントレポート件数や内容を報告して、インシデントレポートが多い部署が可哀想」「部署の状況(ベッド数、入退院人数など)が異なるのに比較してどうなるのか」など様々な反響がありました。今は、まだまだ私のやり方に賛同してくれる人は少ないかもしれませんが、自分が決めた道・方針を貫きたいと思います。起動修正も必要になるかもしれませんが、「やって・みて・考える方法」「事実から学ぶ、体験から学ぶ、失敗から学ぶ」実践塾での学びを今後に活かして行きたいと思います。ネパールでの「方法論」を駆使することにより派生するであろう副産物的成果に書かれている「煙突はネパール人の手で」「現地生産」「格好の職業を各地に生み出す」「薪の消費量が減少する」のように、私が関わることにより、このような副産物的成果が現れように頑張ります。

坂部先生、田村さん、渡辺看護長さんありがとうございました。
実践塾に参加することにより、視野が狭かった私が少しではありますが視野が広がったように感じます。データをどのように返せば理解してもらいやすいのか、どのように関われば良いのか試行錯誤しながら今後も頑張って行きたいと思います。現場で事実を見るために、認定看護師と二人でじっくり部署を見せてもらうパトロール案を検討中です。
実践塾が終了し、ほっとしたような、淋しいような複雑な気持ちです。

井上文江さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第3番目の到着でした。
ありがとうございました。

井上文江さんは、
この半年間の「愛媛実践塾」で格段の進歩を遂げた。
そうでなければ、
この「ネパールの煙突計画」を読んで以下のような、
こういうとらえ方が出来る訳がない。

@先ず第一番目に、
 問題を取り巻く複雑な状況の中から、
 問題の本質を踏まえた「課題」を見付けるためには、
 現場へ出かけていって事実をつかまえ、
 その事実を出来るだけ単純化して、
 自分が納得できるものにしなければならないこと。

A第二番目が、
 そこで自分がつかまえた「常識にとらわれない課題」を、
 常識に凝り固まっている大勢の関係者に認めさせるのは、
 自分が「課題」を見付けた現場の状況を誰にも分かり易く、
 事実を単純明快にしてグラフ化して語りかけること。

Bそして最後に、
 自分が発見した「解決策」を現場の人々に押しつけるのではなく、
 「解決策以前の問題状況」を誰の目にも見えるように提供し、
 事実の段階で共通理解を得ておくこと。

「ネパールの煙突」が井上文江さんに教えてくれたものは、
上記の如く「決定的な問題解決の秘訣中の秘訣部分」であった。
この「決定的な秘訣」をいとも簡単に見つけ出してしまう井上さんという人は、
この「半年間の愛媛実践塾で格段の進歩を遂げた」と、
僕に云わしめるほどの進化と成長を遂げた人なのである。
これからの「この病院での医療の安全管理部」への他部門からの理解は、
ひとえに井上文江さんの「関係者の巻き込み如何」に掛かっている。
リスクマネジメントの「問題解決の王道」は、
「優れた対策」ではなしに「関係者への優れた理解説得方法」以外に道はない。
これこそが井上さんが学んだ「チーム・マネジメントの極意」である。
この方法の早急なる体得が井上さんには必要であると思われるのだが、
如何であろうか。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

「ネパールの煙突計画」を読んで

                     平成20年6月1日
                愛媛県立中央病院 家田真由美

この本の中に、「自己の成長」と「相手への援助」はどちらが主でもなければ従でもない。ともに主であり、従である相互循環の関係であり、「自己の成長」のない「他者へのかかわり」は無価値な押し付けであり、「他者へのかかわり」のない「自己の成長」は自己満足でしかない。と書かれてあった。この文章を読んで、今、自分がやっていこうとしていることは、無価値な押し付けや自己満足で終わってしまうのではないかと不安になることがある。スタッフを巻き込み目標に向かって到達できるように、取り組んでいかなければならないと思っているが、時として怯んでしまいそうになることがある。それは、スタッフがどう思っているのだろうかと相手の反応が気になったり、自分のやっていることに、今ひとつ自信が持てていない自分がいるからだと思う。しかし、今、取り組んでいることが、何らかの成果に繋がり、スタッフの何人かが継続して実践できた時、達成感を味わうと共に自信に繋がるのではないかとも思う。文章の中に創造性教室のモットーにしている「失敗から学ぶ」「問題よ我に来たれ」の精神と書かれてあった。この言葉のように、「失敗から学んだらいいんだ」と思って、信念を強く持って突き進んでいくとことができるようになれば、私自身の自信に繋がっていくのではないかとも思う。失敗に恐れずに失敗したら、その事実から、人離れして「やって・みて・考えて」を繰り返し行ないながら、実践していくことが、次の何かに繋がり、何らかの形になって見えてくるのではないかとも思う。また、自分の行っていこうとしていることに、信念を強く持ち、自信がないではなく自信を持って、スタッフの一人からでも、一つの係りからでも巻き込んで取り組んでいかなければならないと思う。失敗に恐れることなく、怯むことなく「自己の成長」と「相手への援助」の相互循環の関係になれるように、自分の目で見、自分の足で歩みながら、自分の頭で考えて、自分自身もしくは病棟のあるべき姿に一歩ずつでも近づけるように、マネージメントしていかなければならないと思う。
そして、本来の目的に向かって少し強制をしながら、スタッフが継続して実践し達成感を味わうことができるように、私自身がどう関わっていくかを考えながらマネージメントしていきたいと思う。

家田真由美さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第4番目の到着でした。
ありがとうございました。


家田真由美さんは、
この「ネパールの煙突計画」の中でもっとも大切なものを把握している。
家田さんいわく「自己の成長」と「相手への援助」は、
どちらが主でもなければ従でもない。
ともに主であり従である相互循環関係であり、
「自己の成長」のない「他者へのかかわり」は無価値な押しつけであり、
「他者へのかかわり」のない「自己の成長」は自己満足でしかない。
この「相手を支援し援助し育てる時のポイント」は、
組織運営に携わる全ての人々が持って肝に命ずべきことであろう。
さてさて、
今回の家田真由美さんのこの「レポート」には、
「家田式のマネジメント」がきめ細かく書かれている。
行ったり来たり…頑張ってみたり怯んでみたり…誰だってそうなんですよ。
そういう「逡巡」がなければそれはかえって、
相手には「尊大なる態度」と写っていることでしょう。
そういう「逡巡があってこそ」あなたらしい人間味を感じさせるのです。
でも思考する時の「逡巡は大切」ですが「無用な躊躇」はいけません。
己が一旦決断したことは「断固たる信念を持って」前に進むのみです。
家田真由美さんもこの「レポート」の中で書いているように、
「失敗してもいいじゃないか」と腹をくくることです。
「失敗から学べば」いいのですから。
まさに「失敗から学ぶ」態度があれば「問題よ我に来たれ」となるのです。
でも、
今までの躊躇のマネジメントから決断のマネジメントに切り替えるのですから、
家田さん自身の変身が大変ですしそれだけに最初が肝心で難しいのです。
家田真由美さんが今の変身の時の辛く苦しい時を乗り越えれば、
あとは順風満帆…、
「家田流のマネジメント」が病棟に鳴り響く日もそう遠くはありますまい。
本来の目的に向かって「少し強制しながら」一歩踏み出してみましょう。
必ずやスタッフは「強さを発揮する家田さん」に着いてきますから。
自信が無かった頃の「弱さ」がスタッフには魅力を感じさせなかったのです。
今の家田さんに必要なものは「その少し強制しながら…のこころ」です。
勇気をもって頑張って参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)

 


「ネパールの煙突計画を読んで」

2008年6月2 日
セイレイ工業(株)  田中 雅之


先般指導してもらった事と、この20年前の事業も同じ考えの基である事がわかりました。

先生が理念とされているものの実践されたものを最後に実例で見られて、実践塾の後まとめができ、肝に命ずる事ができました。

問題解決の項目の実例がネパールの煙突計画。問題がネパールの人々の健康。それを解決する為の調査項目が健康状態、煙突の形態、文化。

メンバーを巻き込むやり方は医者の人にうまく生活状態をみてもらうやり方や実際作業を行なうのを最終ネパール人にもっていこうとしている所です。

問題解決の手段として、煙突設置をとりあげて、その他の副産物も有り、教育・産業振興とか考えています。

 塾で習った事が事業を行なう上でもまったく同じように使っている事例を学び、仕事・家庭・人生の上でこの手法は使えるし使わなければ、人間としてのレベルが低いと問われるように思われます。

  大いに使っていこうと思います。

  人間としてのレベルアップの指導をどうもありがとうございました。

 

田中雅之さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第5番目の到着でした。
ありがとうございました。 (by 坂部正登)

さすが田中雅之さんは現場で活躍してみえる人なので、
見る視点が「手に触れるように具体性があって」いいですね。
田中さんの仕事には少しも直結するところのないと思われる、
今回のこの宿題の「ネパールの煙突計画」の各プロセスを、
自分の仕事の改革改善に結びつけて思考しています。
そして各部分部分をキチンと、
自分側に引きつけたとらえ方も素晴らしいのですが、
最後には「これを使わなければ人間としてのレベルが問われる」
と締めくくっているのには驚きを禁じ得ません。
僕はまさか「人間のレベルを問う」ところまで要求したことも、
考えたこともなかったのですが、
そう云われれば「なるほどそういうことか!!!」と、
田中雅之さんのとらえ方のすばらしさに「唸った」ものです。
田中雅之さんのとらえ方の方が僕の提起の仕方よりも、
遙かに人としてのレベルの質が高いように思われ、
「教えられるところの多いレポート」を拝読させて頂いた、
今回の「田中レポート」でありました。
ありがとうございました。
今後の活躍を期待しつつ感謝の意を呈します。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

「ネパールの煙突計画」を読んで

平成20年6月2日
県立中央病院 永見優美

この「ネパールの煙突計画」はチームマネージメントがそのまま実践されていた。なかでも、最も印象的だったのは「問題発見のプロセス」だった。シーカ村の村民が中耳炎や結膜炎・気管支炎等の罹患が多いとう問題を、朝、夕村内の家を回り、村民の生活の実態を繰り返し観察することで、「煙とほこりが病気の原因である」という本質を発見されている。そして、この事実をD医師に見せることで、問題と目的が共有化されている。改めて、この5ヶ月の実践塾の中で繰り返された、「現場に足を運んで、真の原因を“事実”の中でつかむ」ということの重要性を感じた。問題の本質をつかめなければ、解決策はずれてしまい、真の問題解決にはつながらない。私がこの旅に同行していたら、D医師の初めの言葉のように、「医薬品が不足している」という発想になったかもしれない。医薬品を補充することは、一時的に村民の症状は回復したとしても、その場しのぎで根本的な問題解決にはならず、薬がなくなれば症状は繰り返されるだけである。そして、問題の本質が明確になったことが、「ネパールの人の生活をこの煙からかい方しなければ」という信念と「家々に煙突をつける」という課題に繋がっている。
次に私が印象に残ったのは、問題解決は「煙突はネパール人の手で」とい方法論である。この計画は数年間にわたり、現地の人々を巻き込んで段階的に調査や試行錯誤が繰り返される中で、信頼関係が生まれ協力関係が生まれている。一方的に、こちらのやり方を押し付けるのではなく、現地の人の力を最大限に生かし、協力を得ながら共に実践していることは、ネパールの人達の尊厳を保つことにも繋がっている。お互いの尊厳を保ちながら、人々を巻き込んで解決する過程が煙突を作る能力を身につける人を育て、更に職業が広がり地域が活性化させ、そして自らが生活習慣の問題を解決できる人が育つことに繋がっていくのだと思う。自分に置き換えて考えてみると、まさにこの「ネパールの人の手(看護長や看護師の手で)」という発想がなく、自らが解決策を出し押し付けていたことが多かったように思う。このようなやり方では、自ら問題解決ができる看護長は育成できず、またそのような看護長の元では問題解決できる看護師は育つはずがない。そして、問題解決をする喜びを知らないからやりがいを感じず離職に繋がってしまったのだと思う。
さらにこの計画は、事実から問題の本質をつかみ、人々を巻き込んで実践して、また事実で評価することが繰り返されていた。
頭では理解できていても、ついつい目先の解決策を探してしまいがちである。そんな時はこの「煙突計画」を思い出し、「看護長を巻き込んで、事実の中から真の原因をつかみ」「看護長を巻きこんで問題解決をする」、「そのことが人を育てることに繋がる」、一足飛びに解決するのではなく、「やって・見て・考える」を念頭において副看護部長として組織を活性化するために役割を果たしてゆきたいと考えている。

永見優美さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第6番目の到着でした。
ありがとうございました。 (by 坂部正登)

永見優美さんは今永見さんご自身が、
病院の組織を生き生きとしたものに育てようと必死に頑張っている。
だから自分の職場の現実と照らし合わせて、
この「ネパールの煙突計画」を読み込んでいる。
そして永見さんは先ず「問題発見のプロセス」の重要性を挙げた。
「現場に足を運んで真の原因を事実の中でつかむ」と云うことである。
だが実は「現場へ行けば“真実”が見えるというものではない」
ここのところが限りなく難しいところなのだが、
仕事で現場へ行く場合は「事実を見る前に何らかの予測」が入っていよう。
ネパールの場合「毎朝毎晩家々をめぐり歩いて」いるのだが、
職場のように「何らかの問題の原因を見付けよう」と思ってはいないから、
見るもの聞くものが自由闊達でしかも面白いのである。
そして「何かが見つからねば見つからなくてもよい」のである。
ここが大切なポイントである。
「原因をつかまねばならない」と思っていると「予測」が入りやすいが、
「別段何も見つからなくてもよい」と思って現場に出ていると実は、
「何も見えない」のではなくて「問題の核心が幾らでも見えてくる」のである。
ネパールの場合毎朝毎晩の現場めぐりで僕は「煙とほこり」以外に、
実は十数個の「課題」が僕の目に飛び込んで来ていたのである。
仕事で現場に出かけている場合「何も見つからなくても結構」
などと云っているわけには行くまいがだがそう思って出かけて行く場合は、
「何らかの予測」が入り込む余地が出てくるであろう。
だから仕事で現場に出かける時は、
「頭は空っぽにして」「目は鳥瞰的に全体を見る」ことが必要となる。
「言うは易くして行なう難し」とう場面に遭遇するのである。
日々訓練するしか法はあるまい。

ではでは。   (by 坂部正登)

 

「ネパールの煙突計画」を読んで

潟~ロクテクノウッド
生産管理室課長
掛水誠

「ネパールの煙突計画」を読んで、まず感じたことは、現地・現物がいかに大切なことかということでした。現場で発生した問題点をその場で認識しなければ、「煙突が必要」という答えは導き出せないと思いました。恐らく誰もが「薬が必要」とか「食料が必要」といったような真因ではない答えを導き出すだろうと思います。
この現地現物については、常日頃から口が酸っぱくなるほど当社では言われていることでした。改めて考えると、自分はそれができていませんでした。真因を導き出すために、私もできる限り現場に出るようにしました。
今までの宿題に、何度か、「まずは私から」ということを書きました。何事も現場で周りを巻き込んで、まずは進んで自分からやっていきたいと思います。
また、本文には、「かまどの現地生産」という将来のビジョンまで描かれていました。よくよく考えてみれば、「ビジョン」なるものは私の頭にはほとんどありませんでした。私も近い将来のビジョンを思い描き、これを部下と共有して業務を推進していこうと思いました。
実践塾では、いろいろなことを学びました。人離れして物離れせず、問題点の洗い出し、データをもって問題解決、これらはすぐにでも実行できることです。この学んだことを、自分の業務にすぐに応用し、実践していきたいと思います。

最後に、坂部先生を初め、田村さん・渡辺さんには、ご指導いただき、お世話になりました。異業種交流で、当初困惑したところもありましたが、非常に良い思い出になりました。本当にお世話になりました。

掛水誠さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第7番目の到着でした。
ありがとうございました。 (by 坂部正登)

「現場現物」という言葉は、
生産会社ではとうの昔から言い古されてきた言葉ですね。
でも現実はそれを口で言うのは簡単ですが行なうのは難しいのです。
だから何時までたっても「言い習わされている」のでしょう。
これからも本気で「現場現物主義」をうたい文句にされる管理者ならば、
今後は「口で言うのではなく全社員に行動を起こさせる」ことを、
提案したいですね。
例えば「毎朝3分間現場へ行って何を発見して来たか」という競争を仕掛けるのです。
また「朝礼の時に毎朝品を変えて工具取り出し競争」をやってみては如何でしょう。
上記の二つは「たとえば」として考えたまでのもので特に深い意味はありませんが、
とにかく「口で言う習慣」をやめて「行動を起こす習慣」に切り替えることです。
「口で言っている間」は現場では「何も良い変化」はおこらないでしょう。
それにひきかえ「行動を起こし始める」と必ずや「良好なる変化」が現れるはずです。
昔から口を酸っぱくして「言ってきた」という事は恥ずべき現象です。
我が社は「行動主義です」という変化が起こせたらシメタもの。
掛水さんなら出来るはずですから…一度試して見て下さい。
そして「次期の第]U期の実践塾」にその実践事例を持ってきては話を聞かせて下さい。
期待しております。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

愛媛実践塾卒業論文・・・・「ネパールの煙突計画」を読んで

愛媛実践塾第]T期生
太陽工業
永田雅一

 品質管理や品質保証に関する本を読んでいると、或いは実際の業務をしていると、表現方法は多少変わるが、必ずある言葉と対面することとなる。
「起きた問題に対処して何になる? 根本を潰さないと意味が無い。」である。
「なるほど。確かにその通り。」
等とその場では分かったような気になっていても、実際に問題を解決しようとすると、“起こった不具合を二度と起こさないようにする”という“意識”が強すぎるのか、どうしても起きた現象に捕われて、結局は対症療法的な処理でうやむやになってしまうというのが現実であった。
 そんな中、実践塾の中で勉強させて頂いたのが、旧沢内村の故深沢晟雄村長が残された大きな業績であり、このネパールの煙突計画である。
両者とも、村民(特に乳幼児)や国民を病気から救うことを目標にしているが、取った対策はまるっきり違う。多くの人が陥りやすい対症療法的な観点からすれば、病院を充実させるとか、薬を送るとかの方策になってしまうのだろうが、実際には、方やブルドーザー(除雪車)であり、方や煙突である。「所変われば品変わる」と言うが、根本を見つけ出した結果であり、只々感心し、同時に、「根本とは、そこまでの事を言うのか!」と、先の言葉の本質を突きつけられた思いがした。
しかし、もう一方で、この二つの事例に共通するもう一つ重要なことが認識できた思いがしている。物事の根本に手を打つ方策、つまり、この場合はブルドーザーであり、煙突なのだが、“この主役をどう効率よく生かしきるのか”、ここが重要な役目を負っているということである。
失礼ながら、坂部先生が思いつかれた煙突という解決方法は、既にネパールの中に考えついていた人達がいたのであり、主役は決定していたと言えなくも無い(ここだけでも結構感動的なのだが・・・)。肝心なのは、煙突の機能を村人に分らせしめるために創造性教室が取った次の行動なのである。ネパール人の手で作り、ネパール人の手で組み立て、ネパール人自身が使ってみることで、煙突の何たるかが本当に理解してもらえるのだと思う。恐らく失敗は多いのだろうが、その分、知恵がつくように思う。これが、日本製の煙突を実践塾生達が取り付けたとなると、最初は機嫌よく使ってもらえるかもしれないが、煙突が何であるかが分っていないままになってしまい、どこかが壊れたときにそれで終わり、という結果になりそうで(修理できる人もいないだろうから)、ネパールという文化や土壌には結局のところ受け入れてもらえないのだろう。
ところが、煙突を理解できていると、多分、壊れても修理しようとするだろうから(つまり、修理できる人がいるわけで)、煙突への需要は、ある時期から爆発的に増えていくのではないかと予想でき、その分、健康への効果も早まるのだろう。“やって、見て、考える(或いは、やってもらい、見てもらい、考えてもらう)”という循環を、煙突という解決策を思いついた時点から何回も、しかも“現場に入って”回しているということなのだ。だから、自然に周囲への教育と訓練がいきわたることになる。“問題解決のプロセスの中に人づくりの鍵がある”とは、まさにこのことなのだ。ここが煙突は思いついたが、その後の普及に歯がゆい思いをしている人達と違うところなのである。
翻って旧沢内村を見てみれば、故深沢村長が打った手もブルドーザーだけではなかった。病院の改革、老人医療費の無料化はもちろんだが、村民の元へ保健婦を派遣して、健康に対する徹底した教育や支援を行っており、村民の健康への意識を高めていった。乳幼児の具合が悪そうでも放っておくというおぞましい因習を払拭し、具合が悪くなったら病院へ連れて行くという意識を芽生えさせたのは、決してブルドーザーではない。ブルドーザーは、行きたいときに病院に行けるようにしたのであり、行こうと決心させたのは、地道な教育活動だったに違いない。別の根本(=本質)が、ここにあったのである。ブルドーザーはあまりにも改革の象徴でありすぎたために注目を集めたに過ぎず、実は、忘れ去られがちな地道な活動こそが主役で、決して見逃すことのできない本質なのである。そして、その地道な活動は、村長亡き後に起こる老人医療法改正に対する反対運動で開花し、“沢内村は例外”という勝利を、村長ではなく村民が勝ち取ることになったのである。“ネパール人による〜”という方針は、まさしく、ここに根ざしているのだろう。
こうして事実を見てくると、うまくいく問題解決の方策は、まずは本質を見抜くことではあるが、その本質とは決して一つとは限らず、いや、大小あっても複数であるのが普通で、更に、そのうちの一つの本質を追求する中で次の本質にぶつかる(つまり見つけてしまう)ことになるようだ。問題によっては、何が主の本質で何が従の本質なのかも判断できないようである。うまく言い表せないが、誤解を恐れずに表現すれば、“問題の本質は次の注目すべき本質を生む”ということになるが、問題の解決方法をひとつのみで終わらせようと考えていると一向に解決はできない、という言い方にもなる。現に、発想法で問題を浮かび上がらせたとき、塾生の作品全てに如実に描かれていたではないか。今このときになって、ようやく、あの発想法での体験が腹の底に落ちた感じがしている。
“事実から本質を浮かび上がらせる”、“人離れせよ、もの離れするな”、“公明正大な評価などありえない”、“問題解決のプロセスの中に人づくりの鍵がある”、そして僭越ながら“問題の本質は次の注目すべき本質を生む”。実践塾での教えは全て三位一体となっているが、これらは座右の銘として肝に銘じておきたい。

《最後に》
当初、私が実践塾の中でやりたかったことは、品質保証室の役割や存在の意義などを明確にするということでしたが、5回の指導の中で、はたまた、発想法で作った図を繰り返し見るたびに、存在意義よりは個々の活動を充実させる方が重要であるという考えに変わり、更に現在は、個々の活動を通して品質保証室という組織をどう活性化させるか、という考えに変わってきています。
つまり、上記の感想文にもあるように、問題の本質に近づいた時点では、その本質を解決していようがいまいが、既に次の注目すべき本質が見え始めるようで、それらは全てがつまるところ“本質”なのであり、避けては通れないもののようです。私が取り上げた“クレームを低減させる”というテーマが途中で頓挫しかけたのも、問題の本質を一つに絞り込もうとして焦っていたことにあったのだと思います。
もちろん、問題に対してどこから手をつけていくかは大事なことなのですが、何か一つでもいいから、それが例え地道な一歩でも、その手が間違ってさえいなければ、時間は少々かかっても、次の一手が見えてくる(ひょっとしたら、これが、“物事をいろいろな角度から見る”ということなのかもしれません)。家田さんがやられていたガーゼの在庫数標準化は、まさしくこの一手なのでしょう。
また、教育や評価は同一線上のものであり、“公明正大”な評価よりは、「この人にこうなって欲しい」という気持ちを大事に、現在の問題を一つ一つ解決していくプロセスを通して、組織活性化に努めていきたいと思います。
この実践塾を通して、私の中で小さいながら何かが変わったようです。うまく実践できるまでにはまだまだ時間が必要とは思いますが、私なりに努力していこうと思います。
坂部先生はじめ、田村さん、渡辺さん、ご指導ありがとうござました。
また、いつの間にか仲間となっていた愛媛実践塾]T期生の皆さん、年齢も職業も千差万別でしたが、いろいろなことを学ばさせて頂きました。本当に楽しかったです。ありがとうございました。特に、井上さん、家田さん、八木さん、宮川さんには空港までの送り迎えまでさせてしまいました。この場を借りて重ねてお礼申します。
では、皆さん、お元気で。どこかで、また逢いましょう。

P.S.
男性陣はそのうち高知か大阪でOB会、と言う話が出ているようですが、監事の林さん?に任せます。八木君、宮川君、いいですよね。

永田雅一さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第8番目の到着でした。
ありがとうございました。

永田雅一さんはこの「卒業レポート」の中で、
「半年間の実践塾での己の意識の変化の流れ」を振り返っている。
まず自分が実践塾に参加した「目的」を振り返り、
当初の「品質保証室の役割や意義を明快にする」という問題意識から、
「存在意義」よりも「個々の活動を充実させる方が重要」と発展し、
永田さんの問題追及の流れは変化発展していったのである。
そして品質保証室がやるべきことは目先の問題解決にあるのではなく、
問題の「本質」を捕らえるところから始めねば、
「根本的で永続的な問題解決はあり得ない」と云うところに辿り着く。
そしてこの活動を通じて品質保証室という組織をどう活性化させるか、
という己のダイナミックな意識の変化を捕らえて「レポート」は終る。
そして最後にはその変化発展は大きな流れとなっていき、
自分の体内に体得されて行き着いたものは、

@「事実から本質を浮かび上がらせる」であり、
A「人離れせよもの離れするな」であり、
B「公明正大な評価などありえない」であり、
C「問題解決のプロセスの中にこそ人づくりの鍵がある」であり、
D「問題の本質は次の注目すべき本質を生む」

となって見事に「大きく結実」して行ったのである。
これらは永田さんの座右の銘となって肝に命じられようとしている。
とくに最後の銘は永田さん自身の発見によるものであって、
その意義は深くそして崇高なレベルに達している。
「実践塾」では今まで「方針は貫いてこそ方針」と云ってきたが、、
「一つの本質を逃さず貫いていくと次の注目すべき本質を生む」、
という永田雅一さん自身の見出した発見に辿り着くのである。
これからは「実践塾」でも後輩育成の為に、
この「永田方式の銘」を拝借させて頂き活用していくこととしよう。
これこそ異業種の交流からくる共に学ぶ方式の成果であろうか。
ありがとうございました。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

『 ネパールの煙突計画 』を読んで

太陽工業(株) 中田茂利

『ネパールの煙突計画』を読んでまず驚いた事が、ネパールの平均寿命が40歳前後。電気もガスも水道も無い生活状態の中で、結核、幼児の死亡率が高く、中耳炎、結膜炎、外耳炎、気管支炎、皮膚病、裂傷などの病気が蔓延している。この現実がこの地域の文化構造であれば何の問題も感じず、健康や保険衛生に対しても意識が乏しくなり、日常茶飯事で良くある事、習慣として流されていってしまう。この事実に実は身が震え上がる様な悲壮感を得た。
現社会・現組織においても、問題は山積みのはずだが、問題意識を持つ習慣が無い集団からは問題は発覚せず、例え問題だと認識したとしても、『問題発見のプロセス』をないがしろにしてしまうと、このDドクターのような「先入感」だけの安易な解決策『薬が足りない』になってしまい『問題』は堂々めぐりを繰り返えしてしまう。この問題に対する解決策が『煙突』に至ったのは『問題発見のプロセス』の成果であり、“事実”から真の原因究明の行動があったからである。『問題発見のプロセス』『事実をありのままに』に対する重要性を改めて痛感した。
『ネパールの家々に煙突をつけよう』を解決すべく自分に課せられた問題『課題』として「自分で自分に課し」、「煙突はネパール人の手で」と掲げた解決理念の下、この課題が現実の中でどのような位置におかれているのか、この課題の本質的な原因は何なのかを実態調査活動した結果が「かまどと煙突」であり「ストーブ計画」という本質であったと考えさせられた。
事実の中から探しあてた「煙突を作ることによって、その地域の人々の健康増進と保険衛生意識の向上に寄与できること」の目的意識を堅持し、目的を共有化する事で人との繋がりが生まれ、結束が固まり、やる気がはぐくまれ、自分達の力で作り上げる主体性のある活動が「第1号の煙突」という成果となり、評価を共に味わうことで、今後の問題解決能力の成長が生まれ次なる行動への活性化に繋がっていると再認識させられた。
やりとげる信念の強さは“知識”ではなく“体験から学ぶ”“失敗から学ぶ”“事実から学ぶ”であり、「やって・見て・考える」が物事をとらえる教育の原点である。実践塾の中での体験からは、まさにこの原点を学び、その成果は“部下の自主性を重んずれば真の主体性は育たない”との信念を堅持し、仕事の充実感、達成感を共有する、主体性のある組織づくりに挑戦する原動力を得ることが出来た。
もう一つの教訓としては、最後に記されている「自己の成長」と「相手への援助」はどちらが主でもなければ、従でもない。ともに主であり、従である相互循環の関係であり、「自己の成長」のない「他者へのかかわり」は無価値な押し付けであり、「他者へのかかわり」のない「自己の成長」は自己満足でしかない。である。現社会においては、「自己が成長しているような錯覚・勘違い」のもと「部下に押し付けのようにかかわってくる」相互関係が全く見られない管理職を多く見受けてしまう。年齢差、権力差があればある程、この事実は隠せない。
個人と集団が生き生きとし、やる気に満ちた、共に成長し続ける組織が築き上げられる管理職この姿を現実のものとし、悔いの無い人生にチャレンジしていく。

中田茂利さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第9番目の到着でした。
ありがとうございました。(by 坂部正登)

中田茂利さんはこの「ネパールの煙突計画」から、
問題解決の重要なポイントを「二つ」見い出している。
いわく、
「問題意識を持つ習慣の無い集団からは問題は発覚せず」
またたとえあったとしても、
「問題発見のプロセス」をないがしろにしてしまうと、
「先入観」だけの安易な解決策になってしまい、
問題は堂々巡りを繰り返してしまうと。
中田さんが云っている「問題発見のプロセス」とは、
「実践塾」でいうところの「実事求是・創意工夫」のことであろ。
この「問題発見のプロセス」は、
「問題の本質」を見い出してくれる重要なものであるのだが、
またそれ以上に重要なことは「問題発見」と同時的に起こる、
「創意工夫の発情機能」を持っていることである。
だが普段の組織運営上でこのことに思いを致す人は意外に少ない。
こういう機能を察知してそれをマネジメントに利用出来るようになれば、
その人は見事な「チーム・マネジメント」の活用者として、
「仕事が出来る人となり」同時に「人を育てる名人」になるのだが。
どうやら中田茂利さんはそのポイントを体得されたようである。
またもう一つ中田さんが語っている大切な二つ目のポイントは、
「やり遂げる信念の強さ」の出どころのことである。
これも中田さんは「やり遂げる信念の強さ」は「知識ではなく」
「体験から学ぶ」「失敗から学ぶ」以外にないと見事にとらえている。
「やり遂げる信念の強さ」は「座学で得た頭の知識ではなく」、
「身体を通じて体得したものでなければ発生して来ないもの」であることを、
キチンととらえているあたり中田さんの体得したものが本物なのであろう、
と云わざるを得まい。
あとはこれを今後の「組織運営」と「問題解決」と「部下の育成」に、
どれだけ実現して見せるかに掛かっていると云えよう。
期待してやまないところである。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

ネパールの煙突計画
=創造性教室の理念とその実践=

会社名 ミロクテクノウッド
作成者 大原 拓史
作成日 2008/6/4

 今回のネパールの煙突計画を読み、
一番の印象は、ドクターが「ネパールには薬が足らない」の意見から「けむり」に変化した点だ。表面上の問題把握では、確かに、薬の足りなさを嘆かなければならない。しかし、問題の本質はけむりであり、それは現地で自分の目で見なければ発見できない。
自分の日常に置き換えた場合でも、まさに当てはまる。表面上の問題に目をとらわれ問題の芯の原因まで到達出来ていない。表面上の問題に必死に力を注ぎ、その場は解決するが、また、後で再発してしまう。最初の段階でしっかりと問題の起こった現場で、自分の目で見ていないために問題の本質からそれた対策を行なっている。しかも、周りを巻き込んでおらず、自分達だけで考えているのだから、現場の人達へ理解してもらえるはずが無い。また、日常の中で多くの問題があるが、問題発見能力がなく、普通にしていることが多くある。
そういった点について、実践塾を経験し、個人発想法から導き出した
根本問題:現場へ足を運んでないから、起こっている事実の本質が見抜けない
基本方針:不良発生を止める為に問題の起こった現場へ足を運ぶ
がまさに、自分の問題点であり、基本方針としてぴったりと当てはまる。
このことを、日常の中で忘れずに、心に刻み、自分のフィールド(会社内)で多くの人を巻き込み実践していきたいと思う。

以上

大原拓史さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第10番目の到着でした。
ありがとうございました。

大原拓史さんが「レポート」で一番指摘しているのは、
「問題の本質」と云うことである。
大原拓史さんいわく
 『日常の仕事でも表面上の問題に対して必死に力を注ぎ、
  その場は解決するがまた同じ問題が再発してしまう。
  最初の段階で自分の目でしっかりと問題の起こった現場で、
  見ていないために問題の本質からそれた対策を行なっている。
  だから周りは巻き込めずスタッフの自分たちだけで考えているから、
  現場の人たちに理解して貰えるはずがない』と。

ではどうして仕事の現場ではそうなってしまうのだろうか。
僕が思うに、
「問題の本質に辿り着くのが難しい」と思っているのでなかろうか?
実は、
「問題の本質を見出す」とはいうことはいとも簡単な事なのである。
問題が起こってしまった現場へ行って、
問題に「関係ありそうな二つ三つの事実」を拾ってくればいいのである。
その時に現場の人々に聞くのも悪くはないが、
聞くくことよりも聞いたことを参考にして「物的な事実」をつかむことである。
この「関係ありそうな」というところが「もっとも大切なこと」である。
現場へ行って見て直接的に「これぞ本物の原因」だと思える事実は、
「先入観」が働いていると思った方がよい。
結局「問題の本質」へ辿り着くのに一番難しいのは、
「先入観」からの脱出なのである。
と云うことは「直接これだ!!!」と思うものよりも、
ひょっとしたら「これは関係があるのかな?」と思える「物的な事実」を、
数個集めてきて「因果構造的に組み立てて見る」ことである。
そこに自ずと見えてくるものが「問題の本質的な部分」なのである。
そして「それを取り上げてトコトン解決への道筋に並べておいて」
問題解決に取り組んで行くと、
この「レポート」の8番目の永田雅一さんの報告によると、
「最初の一つの小さな本質が更に次の注目すべき本質を生む」
という事のようである。
「問題の本質をつかめ」と云うから「何か難しく」聞こえたのだが、
今回の同期生の永田さんの発見によれば上記の如きものなのである。
蓋し僕も同感である。
「問題の本質」は道さえ外していなければ「小さくてよい」のである。
だが本質の道を外して「問題の表面的なところ」へ戻ってしまっては、
元も子も失ってしまうであろう。
だからここで改めて「本質は貫いてこそ本質」と言い換えておこうか。
大原拓史さんが誓っているように「日常の中で忘れずに心に刻み、
自分のフィールド(会社)で多くの人を巻き込み実践して行きたい」
との思いを切に期待して行きたい。
頑張って下さい。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

「ネパールの煙突計画」を読んで

(株)サニーマート 宮川 正文

 「ネパールの煙突計画」を読みました。内容が、「問題の本質を見抜き根本を解決する」という、実例の話しであると感じました。我々が企業の中で直面する「問題」というのも、基本的にはこの煙突計画と同じように、問題の根本があり、結局解決していかないのは、その根本の捕らえ方が、間違っているからということを改めて再認識しました。我々が抱える問題の解決方法とは、「ネパールに大量の薬を!」という解決方法が主になってしまっているように思いました。病気になる人が大量にいる→病気になるから薬が必要→だから、今のネパールに一番必要なのは「薬」。と、考えがちですが、それは、上辺だけの解決法で、また、同じことをひたすら繰り返しとなります。やはり、本質(病気になる原因となっているもの)を見抜くということが大事であるということ。そして、本当の問題解決の策を見つけても、それを浸透させることの大変さも感じました。元々そこにないやり方を、新たにやろう、やらそうとする時、相当なパワーと信念がないとできません。
  こういった実例の話を聞く(読む)度に、あらためて自分の置かれた立場でのできていない現状に気付かされます。今回、考え方実行の仕方はいろいろと頭に入りました。できないのは、実行に移すパワーが足りないから。そのためには、「関係者みんなを巻き込む」ことが大事だと感じています。一人で考えるよりもみんなで知恵を出し合って、問題を共有・解決ができればと思います。その際、みんなで壁にぶつかった時に、今回学んだ事でみんなにアドバイスがあげられる存在でありたいと思います。

宮川正文さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]T期生・第11番目の到着でした。
ありがとうございました。

あなたの「ネパール・レポート」が届かないので、
ちょっと心配しておりました。
でも流石ですねえ〜。
宮川さんはキチンと『ネパールの煙突計画』を読み込んで、
自分の仕事と対比して考察を廻らせておみえだったのですから。
宮川正文さんの云うように『ネパールの大量の薬を!』と、
元気の良いスローガンを掲げるのが普段の我々の組織体ですよね。
「元気の良いスローガン」は組織の上層部には「受けがいい」のですから。
でも実際はそれはなかなか成果に結びつかず、
ただただ虚しい時間だけが過ぎ去っていく…だけなのです。
なぜならば宮川さんも指摘されているように、
それは「事の本質に当たっていないから」です。

でも現実の職場の中で、
 「本当の問題解決の策を見付けても、
  それを浸透させることの大変さも感じました。
  元々そこにないやり方を新たにやろうとする時、
  相当なパワーと信念がないと出来ません」と。

宮川さん曰く、
今回の半年間の「愛媛実践塾」で、
「問題解決する考え方や実行の仕方はいろいろと頭に入りました。
できないのは実行に移すパワーが足りないからだ」と。
もう云う問題をとらえる時の宮川さんは全く冷静そのものです。
現実の今までの流れに親しんだ職場環境を変革させるパワーは、
並大抵のものではありませんよね。
それを実現させるには一人では不可能に近いと云わねばなりません。
やはり仲間が必要でしょう。
自分を支えて呉れる上司か、
または同僚部下のすべてを宮川さんの方へ顔を向けさせるのですから。
この運動を推進させていく為には会社ぐるみ組織ぐるみの方向がないと、
現場で宮川さんがまた一人で悩むだけです。
貴社全体の「副店長会」とか「本部へ働き掛けるチャンス」を使って、
自分たちのエネルギーの枯渇を防ぐ方法も必要でしょう。
今回のこの「ネパール・レポート送信の伝書鳩役」を買って出て下さった、
八木良文さんとも意見を交換し…手を携えて、
今までの「愛媛実践塾・修了生」を結集して行こうではありませんか。
今後の貴社の「店舗活性化運動」の旗振り役になって行きましょう。
僕も応援態勢を敷いて参りますから…。
「サニーマート全体のニーズと夢の実現の為に」ということと、
「全社員の夢のある人生実現と家族の幸せの為に」です。
                        (by 坂部正登)

 

『愛媛実践塾・第]T期生・第1回目の宿題レポート』

『愛媛実践塾・第]T期生・第2回目の宿題レポート』

『愛媛実践塾・第]T期生・第3回目の宿題レポート』

『愛媛実践塾・第]T期生・第4回目の宿題レポート』

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