『愛媛実践塾・第]T期生・第4回目の宿題レポート』         2008年5月24日 登録

テーマ 「評価

組織を生きいきさせる実戦的方法「評価」の感想

サニーマート高岡店副店長   八木良文


通常評価が人を育てているという認識は私は持っていなかった。当然「こんな大変な仕事よく一人でやったねえ。」
などと部下を褒めることはあるのだが、このこと自体が人を育てているという認識が今までなかった。自分も
昔上司に褒められるとうれしくなって「もっと頑張ってやろう」と思っていたのにそのことで自分が成長したという
考えがなかったのである。言われてみれば当たり前のことで評価で人を育てたり腐らせたりするものである。
評価の持つ力によって今後の仕事の内容が良くなったりそのことで人を成長させるものだと今回わかった。
ただその評価には到達期限と到達目標が決められていない場合が多くほとんどの場合人物評価で終わっている
のが現状だ。「この仕事を必ずやっておくように」と伝えてあってもなかなかやらないと「彼にはやる気がない!」
といったことで片づけてしまいがちである。しかしここで述べている正しい評価とは「この仕事を今度の月曜日までに
取引先が納得するように傾向と対策を付け加えてレポートを作成しておくように」といっておいて初めて評価ができる
ことで意外と前者のほうが多く結果人物評価をしてしまいがちである。意外にも私は入社1年目のころに出会った社外の先輩から
「自分の目標を明確に立てろ。その目標を立てたらどうやっていくか考えたらいい」とアドバイスをされ、自分でも
知らず知らずのうちにまず目的地(駅)を決めその駅に電車で行くほうが早いのか?バスのほうがいいのか?といった
ことを考えるくせはついているみたいだ。(すべてはできてませんが)その明確な目標があればあとはどうやっていくか
考えれば到達できやすいし、そのことについても評価しやすくなるだろう。しかしこのようなことをいっても自分の
今の立場からしても人を育てることが自分の仕事なのにほかの部下には同じように求めていないところがあり、
そこが自分の欠点であると自分でも自覚している。今の自分の立場で言うと自分ができてもだめなわけで、同じように
できる人を育てることが最大の仕事内容であると理解している。今後はそこに力点をおいて正しい評価はもちろん
自分と同じような考えや行動を持てる人を育てることが私の課題である。

八木良文さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第1番目の到着でした。
ありがとうございました。

八木良文さんはレポートの中で、
「評価」というものが人を腐らせたり、
やる気を失わせたりするものだという経験はあったのだが、
こんなに明快に「評価が人を育てる為のもの」
という認識はなかったと云っている。
それが評価というものを評価たらしめて来なかった最大の欠陥だったのです。
でも八木さんは先輩から「自分の目標を明確に立てろ」と云われていて、
それが今までの八木さんを支えてきたものだったと云う。
素敵な話ですね。
でも今までの自分の周辺で見てきた「評価」は、
すべて「人物評価」だったと云っている。
そしてそれは「到達目標」と「到達期限」を立てて来なかったからだ、
と把握しているから凄い。
今から八木さんがおこなうお店での「評価」が一歩づつでも、
今あなたがとらえた「評価」に近づいていけるようになれば充分でしょう。
頑張って参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)                  

 

「組織を生き生きさせる実際的方法・評価」を読んで

潟~ロクテクノウッド
生産管理室課長
掛水誠

「組織を生き生きさせる実際的方法・評価」を読んで、まず感じたことは、人を評価することは非常に難しいテーマだということでした。今まで私も部下を「評価」してきたのですが、その評価が本当に正しかったのかという疑問をこの資料を読んで持たされました。本文には、「到達目標」と「行動計画」を取り決め、その「進捗度を評価する」とありました。私も同様に、目標と進捗の管理を行いその評価をしているつもりでした。言い訳になりますが、仕事(作業内容)によっては、その進捗が非常にわかりにくい、職務内容によって進捗が非常に遅い(年単位)といったものもありますよね。その進捗がすぐに読み取れるようなものであれば、その評価は簡単ですが、読み取れないものは、評価が非常に難しくなります。よって今までの私の評価は、どちらかといえば相対的な評価になっていたように感じました。進捗の遅い仕事をしている人の評価は特にそうです。文中にもある「人物評価」をやっていたようでした。これでは駄目だと改めて実感しました。目標の設定とそれをクリアーするためのスケジュールは立てるのですが、最終評価で相対的な評価では、どうしようもないですね。このような絶対評価/相対評価の良し悪しについて、色々議論されていると思いますが、絶対評価で判断したいと思います。部署内のみんなと同じ目標をもち、それをクリアーするための課題の設定・スケジュールの作成など、みんなでそれを考え、最終その課題を克服し、みんなでその喜びが分かち合えるような、そんな職場環境にできればと思います。現在の職場環境では非常に困難なことかもしれませんが、少しずつ変えていきたいと思います。
まずは、私から。

掛水誠さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第2番目の到着でした。
ありがとうございました。

「評価」とは、
「到達目標」と「行動計画」を決めて「その進捗度を評価するもの」
です。
掛水誠さんの云う「業務の進捗度の長いもの」は、
そのスパンをいくつかに切って見てみてはどうでしょうか。
まああなたが考えればいくらでも方法は出てくるはず。
いずれにしろ「人物評価」になってしまう現在の評価法を、
まずは掛水誠さんから、
一歩づつ一歩づつ改善し改革して行くことしか、
方法は有りますまい。
自部門の上司の「評価」に実感が持てれば、
下の人たちは必ず着いてくるもの。
会社の評価システムがどうの、
他人の評価方法がどうのと云っているよりも、
まずは掛水さん自身の「評価」の改革から始めようではありませんか。
「評価」の最終点は「結果を共に味わう」ところです。
この場面で「ぴょこん」と人が成長するのですよ。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法
『評価』を読んでの感想

2008年4月25日
セイレイ工業梶@林 有


評価は“人を直接評価”するものではない。評価は“仕事の目標”とそれを達成するための“行動計画と実行状況”を見直し、その“進度”を評価するのである。これを読んだ時、今までの自分の行ってきた“評価”とは何だったのだろうと振り返ってみた。スタッフまかせで自分からはなんら手を打ってないような仕事が多く、進捗状況すらはっきりと把握できていない事が多かったと思う。また、各スタッフが日常おこなっている仕事に対して、できている・・
できていない・・・に対して評価していたように思え“正しい評価”ができていなかったと思う。こんな状況ではスタッフが仕事に情熱が持てる訳なく、やる気も失せてくるだろう。
本書を読んで改めて“目標設定”の重要さを認識した。本当の評価は“進度”を評価するものとある以上、到達目標がないと評価はできなくなる。
現状の業務に置き換え、自分も含め各スタッフの行っている業務に到達目標を持たすには苦労するかもしれない、今までやってきていないのだから当然である。してこなかった自分が一番悪いのである。しかしスタッフの事を思えば乗り越えないといけないハードルと考えて、乗り越えるよう努力したい。うまくいくかは分からないが、まずは各スタッフの日常業務の問題を聞き出し、それを課題に設定し到達目標、到達期限を定めて取り組もうと思っている。
先般の実践塾でお話を伺った、どこかの病院で在庫の低減に取り組んだ結果、見事に大きな実績をあげる事ができ、その改善効果で不足している『看護士を2名雇ってやる』と言われれば看護士でない自分が聞いても感動し、またやってやろうと思うようになると思う。
自分も今は無理だが、そういったダイナミックで人に感動をあたえれる評価ができる人間になれるようがんばりたい。

林有さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第3番目の到着でした。
ありがとうございました。

「評価」は「到達目標」と「到達期日」をキチンと決めておかないと、
「評価」するものがないので「人物評価」になってしまうのである。
だから「評価」は期末におこなうものではなくて、
「期首」に大切なことがおこなわれているのである。
「期首」にそれをおこたっているから「評価」は曖昧になってしまうし、
「評価」が曖昧になればなる程「人材は育たない」のである。
林有さんは今から自分のところだけでも、
このような新しい「評価」の方法に取り組もうとしている。
「看護師二人の給料分の消耗品の破損を削減したのだから」
「看護師二人雇ってあげよう」とは何ともダイナミックな看護長ではないか。
これが「結果を共に味わう」という評価の終着点なのである。
こういう上司が現れると下で働く人々は生き生きとしてくること、
間違いあるまい。
林有さんがセイレイという会社の組織を動かす人材になるのも、
そう遠いことではあるまい。
期待しています。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法『評価』を読んで

(株)サニーマート
宮川 正文

今日の企業の中で、人をちゃんと評価できる人はいるのだろうか?本文の中に、評価とは、「進捗の確認とできばえの見直し」のためにある、とある。この軌道修正時に、わが社の場合、悪い所に着目し、集中しがちである。いわゆる、その人の弱いところ・出来ていないところの指摘が中心である。良いところは放っておいても大丈夫だから悪いところを潰していく、というやり方だ。「評価=欠点探し」の様である。常に、自分の仕事は「やっても修正される」と思いながら、皆仕事をしている。人それぞれの、その時々の感性・感情が評価の中に加味されすぎているために、あの上司と、この上司の言うことが違う、と言う事が多いのである。それぞれの頭の中にある「到達目標」が明確でなく、バラバラであることも大きな原因でもある。一度も自分に対して、ねぎらいや褒める言葉がないとしたら、仕事は作業となり、やりがいはほとんどないのではないだろうか?
 昔、こんな話を聞いたことがある。「人間の心の中にはプラスとマイナスのスイッチがある。たいていの上司は、人のマイナススイッチしか押さない」そうだ。例えば、「おはようございます」という朝一番の挨拶に対し、上司は「おい、あれはどうなってんだ?」とまず強烈に心のマイナススイッチを押す。すると、その日の気分は上がらないまま仕事に取り組まなければならない。「おはよう」に対して「おはよう」を返すだけで、心のプラススイッチは軽くても押されるそうだ。感情や気分で仕事をしてはいけないが、感情や気分は仕事に大きく影響する。「評価」の仕方を間違うと、部下のマイナススイッチを連打していると言える。これでは人は育たない。
今回の実践塾の直前に、社員や準社員の人事考課をした。毎回だが、その人の良い所を探す。しかし、かなりの時間を要した。振り返ってみると、まず、この人は「がんばっていた」という評価から入り、そして「結果」の評価をしてしまっていた。この冊子に書いてある「人を評価するのではなく、進捗状況を評価する」という事が、もっと念頭にあれば、そう時間もかからなかっただろう。
この冊子に書かれている事は、改めて自分自身の気付きが多かった。これから、人を評価する上で大切なのは、「人を育てるためにある」という事を頭において日々仕事をしようと思う。

宮川正文さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第4番目の到着でした。
ありがとうございました。

宮川正文さんはこのレポートの中で、
自分の会社の「評価」は「欠点探し」が基準と表現しました。
まったく現状の評価をうまく言い当てたものですね。
評価の根本基準がないために上司によって評価がバラバラ、
という状態では下の人たちは育つ余地がありませんね。
その組織体で人材育成するときの基本が、
「欠点探し」なのか「長所探し」なのかは組織体の哲学の問題ですが、
さてどちらが有効なのでしょう?
宮川正文さんもこの「レポート」の中で云っているように、
「自分にねぎらいや褒め言葉がないとしたら仕事は作業と化す」とは、
また意味深長なる上手い表現ですね。
「評価」を「感情」を交えたら「人物評価」に陥ることになりましょうが、
「感情の豊かさ」は実は「行動の原点」なのです。
「感情」はやたらと体内から出して当たり散らしてはいけないのですが、
グッと体内の閉じこめておいて、
「いざ鎌倉!!!」というような行動に駆り立てるときには、
大いに役立てるべきものでありましょう。
また「人の良いところを探す」ためには、
上司の観察眼が育っていなければ成り立ちません。
上司がサボっているときには「他人の欠点」だけが見えてしまうものです。
「上司の観察眼が停滞」していて「部下の欠点」ばかり指摘し、
「部下はやる気を失い」ますます仕事が作業化するという悪循環が、
毎日の業務の中に蔓延っているのではないでしょうか。
この「悪循環モード」を宮川副店長さんが裁ち切り、
「自分のお店を善循環モード」に改善して行こうではありませんか。
いよいよ5月で最終回となってしまいました。
充実したグラフの持参を期待しています。
今までの全ての作品を持参下さい。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法『評価』を読んで

平成20年4月27日
県立中央病院 井上文江

 当院看護部は、目標管理を導入しており看護部目標から病棟目標、個人目標を立案し評価している。病棟看護長の時は、スタッフと年3回面接を行い看護師のライフスタイルに合わせて長期目標、短期目標から個人目標を立案、評価、追加・修正してきた。目標があり評価があるから努力するのであり、目標・評価が無ければ資料に書かれているように仕事の波形の強弱も、仕事の流れのダイナミックスさも見失われてしまうと思う。
 平成19年4月より病棟を離れ安全管理部勤務となり、前任者より仕事を引き継ぐために個人目標を立案し目標に合わせて行動してきた。しかし、安全管理部の目標に関しては、目標はあるものの到達目標を決めていないため中間評価、追加・修正が行われておらず、平成19年度の目標評価は単なる結果報告となった。平成19年度の年度末にインシデントレポートの集計をして、初めて目標の転倒・転落件数が約100件増え、注射に関する件数が約100件減少していることが分かった状況である。先日、医療安全管理部委員会があり、平成19年度のインシデントレポート集計と平成20年度医療安全管理部目標を報告した。その時、ある医師より「転倒・転落件数がなぜこのように増えているのか、転倒・転落件数減少に向けてどのようにして行くのか」などの質問があった。高齢者の入院患者が増えていることや看護師数の減少の理由だけでは納得の行く答えとならない。インシデントレポート集計結果の分析が十分できていないことや、目標は立案したものの到達目標に向けての具体策が不十分であったことを反省させられた。
もやもやとしていた中、今回、組織を生き生きさせる実際的方法『評価』を読んで、医療安全管理部の目標がスローガンであったように思う。目標達成に向けて到達目標を決めて、中間評価や追加・修正しながら平成20年度の目標立案に向ける必要があると感じた。年度末に評価するだけでは、到達目標に向けての進捗状況が把握できず、追加・修正もできない。医療事故防止に向けて研修会や分析会、パトロールを毎月実施し努力しているが、一貫性がなかったと反省している。年度末の報告は医療安全管理部の目標の評価がどうであるのか問われる。今後は、到達目標、行動計画をしっかりと立て進捗状況を確認、追加・修正しながら目標達成に向けて努力して行きたい。

井上文江さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第5番目の到着でした。
ありがとうございました。

井上文江さんの今回の「評価レポート」は,
自分の職務の一年間の反省が書かれていて好感がもてました。
病院の医療安全管理部としては「目標」はあるものの、
「到達目標」が作られていなかったので、
「中間評価」「追加」「修正」がおこなわれず、
「年度末の目標評価」は単なる「結果報告」となってしまた。
しかも年度末の「データ集計」をしてみて初めて、
一年間のデータの増減を知ったのである。
これでは「評価」」というものの持つ「人材育成のチャンス」を、
自ら失っていることになる。
結果として、
昨年度の我が部の「目標」が単なるスローガンであり、
「目標管理」による「目標」ではなかったということが云えよう。
「目標」を掲げ「到達目標」に向けての「具体策」が不十分でもあった。
だから日々やっている研修会や分析会やパトロールは統一性を欠き、
端から見れば「単なる思いつき」でしかない事になっていたのであろう。
今年度は「目標」を決めたら「到達目標」を決め「行動計画」を立てて、
「進捗状況を確認し」「追加」「修正」しながら取り組んでいくことを、
誓っているのである。
頑張って参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法『評価』を読んで

愛媛実践塾]T期
太陽工業
永田 雅一

 『評価』とは、“仕事の進捗状況の確認”と“仕事の出来栄えの見直し”のためにある、とのことであり、“人を直接評価”することであってはならず、“仕事=目標を達成するための行動計画と実行状況”を見直し、その“進捗度”を評価することでなければならない、と書かれていた。そして、そのためには、“目標の量”と“目標のレベル”をきっちりと決めておくことが必要であるとのことだ。
 “組織における評価”を定義付ければまさにその通りであり、私の頭の中での“評価”への理解も全く同じである。異論の無いところだ。
また、弊社の人事評価制度もこれに倣った方式が採られており、期首の目標設定は上司とスタッフ(部下)の間の話し合いで決定され、期末の結果の評価は目標に対してどうであったかで決まる。もちろん、その間の進捗状況は部署・部門内の会議体等でチェックされ、必要に応じて上司からの助言が与えられるシステムとなっている。ちなみに、この評価法はボーナスの査定に使われている。
 しかし、「なるほど、そういうことか」と納得して実行してみると、これがそう簡単なことではない。
最大の原因は、目標の設定がかなり難しいことにある。目標と言うからには、まず、その人が相応の努力をして達成するレベルのものでなければならず、従って、その本人にどこまで期待できるのか、どこまで達成できそうなのか、を考えなければならないことになるが、実はそこに『人物評価』が生まれやすいのだ。なぜなら、その人の“能力”を推し量らなければならないからだ。
本来の評価である“目標に対する結果の評価”は比較的分かり易い指標であるが、“能力”となると絶対評価が非常に困難で相対評価にならざるを得ない上、つまり、企業の中では常に『査定』を伴うためどこかで優劣差をつけざるを得なく、そこに、主任だからこのレベル、課長代理だからこのレベルと様々な職制別の評価を要求されると、管理者としては混乱する一方である。特に、好き嫌いを排除し公明正大でありたいと思う管理者であればあるほど、この深みにはまっていくことになる。当然、進捗管理などあり得ない。
 だから、私の業務の中でも、嫌いな業務のベスト3に入ってしまうことになる。
 しかし、しかしである、研修の中で先生が言われた「公平な評価などありえない。」という言葉には、正直、救われた思いがした。公平を期するが余り、評価する側が考えすぎてしまうと、所謂ノーマネジメントに陥りやすく、かえって悪い結果を生み出すのかもしれないことに気づかされたわけである。
 また、“評価で人を育てる”という発想は、今まで、私の中にはなかった考え方であり、評価と査定が切り離された感もあり、ひょっとすると、いいや多分、私が嫌いとする“評価”を、別次元に引き上げてくれそうな気がしている。もちろん、そう簡単なことではないとは思うが、難しさの度合い自体が変化したように思えるのだ。
進捗状況をスタッフと一緒に吟味し、討議し、次の一手を考え出すことは、自分自身への自己教育の手段としても非常に有効であると思うので、もう少し気を張らずに、スタッフの声に耳を傾けつつ、安易な妥協(目標値の低減など)もすることもなく、できるだけ自然体で“評価”していくようにしたい。
最初の一歩として、今期の目標値を再度見直し、目標達成までの詳細な計画をスタッフ全員で練り上げることを既に通知した(4月22日)。次回5月1日には、まず、目標達成時のあるべき具体的姿について話し合うことに決定している。
 まずは、歩き出してみよう。

永田雅一さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第6番目の到着でした。
ありがとうございました。

「評価」に限らず何事も新しい事を考え、
実行しようするとき必ず思わぬ困難に出くわすものである。

永田雅一さんのレポートは当にそこから始まっている。
「評価」というからにはまずその人が、
相応の努力をして達成するレベルのものである必要がある。
その人にどこまで期待できるのかを考えるとき、
そこに「人物評価」が生まれやすい…と。
でもそれは1年目のことを云っているのであって、
毎年毎年このやり方を繰り返してやっていけば、
自ずとその人の実力がを実行段階で客観的にとらえることが出来よう。
また今までの部門の業務の中でその人への、
仕事の与え方と達成の仕方をデータ的にとらえていけば、
自ずとその人の実力はデータとして出てくるものである。

またそれとは別の方法を使ってみよう。
事前に自部門の業務に必要な技能をきめ細かく洗い出し、
全メンバーがそれらの全必要技能をどの段階までマスターしているのか、
ということを把握できれば「目標達成能力」を推し量ることも出来る。
次回の湯ノ浦で以前に愛媛実践塾でそれを実行した事例があるので、
最終回に見てみる機会を作ってみたいと思う。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法「評価」を読んで

平成20年4月28日
愛媛県立中央病院 家田真由美

この本を読んで、評価は人を直接評価するものではない。評価は「仕事の目標」とそれを達成するための「行動計画」と「実行状況」を見直し、その進捗度を評価するのであると書かれていた。私がこれまで行なっていた評価は多少なりとも人物評価になっていたのではないかと思った。私の病棟でも年度初めに個人目標を設定した後、スタッフの面接を行なっている。個人目標の中には到達目標や行動計画が曖昧なものもあり、それに対しては、スタッフ各自の役割や力量を踏まえて、再度到達目標と具体的な行動計画の修正を依頼するようにしている。しかし、自分の到達目標と行動計画が、なかなか具体化できないスタッフや修正できないスタッフに対して、曖昧のままの到達目標や行動計画で終わってしまうこともあったように思う。このような目標や計画では、本来の評価である仕事の進捗状況の確認や仕事の出来栄えの見直しのための評価ができていなかったと反省した。このような職場では、評価が仕事の内容を充実させ、その上、人を育てるものとして意識されるものにはならないのだとわかった。また、目標設定する時に到達目標時期と到達目標レベルを決定するようにしているが、このことは、質的な到達目標レベルに対する実践活動の出来栄えを、評価という行為を通じて確認しているのだと再認識した。
また、スタッフを巻き込んで力強くリードする婦長の組織運営のやり方をチーム・マネージメント、その反対に、スタッフが自主的に育っていくことを願って、成長するすべをスタッフまかせにしている、いわゆる民主的な組織運営のやり方をノー・マネージメントと呼んでいる。この文章を読んで、私が行なったこの2年間の病棟管理は、自分のやっていることに自信がもてないために、ノー・マネージメントの管理であったように思った。スタッフの主体性を尊重しスタッフに任せていることが多かったように思う。しかし、このような組織運営の方法ではスタッフの主体性が育たない。主体性を育てるには、強力なリーダーシップが必要であり、そのリーダーシップを発揮する締めくくりの行為が評価である。厳正な評価を下せるリーダーシップのある婦長の下でこそ、主体性のあるスタッフが育つ。主体性とわがままは1枚の紙の裏表であり、紙一重の関係なのであると書かれてあった。自分の行なってきたことを振り返って見ると、私自身のリーダーシップが弱いことで、主体性はあるが何か足りない、また、自己主張が強くわがままなスタッフを育ててきたのだと反省している。これからは、スタッフが主体性を持って成長できるように、人物評価をするのではなく、スタッフの誰もが評価に参加でき、関係者全員で結果をともに味わうことができるように、評価の目をしっかり養ってチーム・マネージメントを行なうように努力していきたいと思う。

家田真由美さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第7番目の到着でした。
ありがとうございました。

家田真由美さんの病院では「目標による管理」がおこなわれている。
そこでは先ず看護部トップによって「部門目標」が立てられ、
次にそれを受けて病棟の看護長によって「病棟目標」が立てられ、
またそれを受けて最後に全病棟スタッフの「個人目標」が立てられる。
だから「目標到達度の評価」がおこなわれやすい環境にあるのだが、
現実としてはなかなかうまく行っていない。
何故であろうか?
家田真由美さんが提起する問題点を列記すると、
@個人目標の中には「到達目標」や「行動計画」が曖昧なものがある。
A自分の「到達目標」や「行動計画」が具体化できないスタッフが居る。
B曖昧で具体化できない「到達目標」や「行動計画」を認めてしまっている。
Cこのような「目標管理レベル」では「評価出来るレベル」にまで至っていない。
D「個人目標」の進捗状況や出来映えを「評価」するものと思っていなかった。
E「評価」というものが「人を育てるもの」という意識が管理者にはなかった。
ということであろうか。
また家田看護長さんは自分の病棟管理に自信が持てなかったので、
「スタッフの自主性を尊重しスタッフに任せることが多かったように思う」と。
しかしこのような病棟運営の方法ではスタッフの主体性は育たない。
スタッフの主体性を育てるためには強力なリーダーシップが必要であり、
そのリーダーシップを発揮する締めくくりの行為が「評価」である、
と己の管理者としての方法論の未熟さを厳しく戒めている。
厳正な評価を下せるリーダーシップの下でこそ主体性のあるスタッフが育つ。
また「主体性」と「わがまま」は紙一重である。
「主体性を尊重して居ると主体性はあるが自己主張の強いスタッフが育つ」
と云うことも己の病棟運営方法を振り返って「納得」できたようである。
素晴らしい「家田真由美の発見」であった。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

            組織を生き生きさせる実際的方法
            『評価』への考察

太陽工業(梶j 中田 茂利

『評価』という言葉に何故か敏感に反応してしまう。
なぜならば会社組織における絶対評価は、売上げと利益であり、利益を勝ち取らなければ
会社運営は成り立たない為、必然的に“利益に貢献しているかどうか”が経営者側の最終『評価』基準となっている。この利益を勝ち取るために、方針、戦略課題が立案され、目標達成に向けた活動状況は、月度、四半期、半期、年間で進捗管理されるが、最終の『評価』指標はやはり結果であり利益貢献度である。
 また、昇格・昇給・賞与査定などの人事考課も財務評価、目標達成度評価、役割遂行度評価、能力評価、成績評価、態度評価などで決定され、“人を直接評価”により採点を付け、人物評価により査定をしているような実態も見られる。
『評価』という言葉に敏感に反応してしまい、余り良い印象がないのは、恐らくこの最終結果、最終成果物及び人に対しての点数付けが『評価』であり、その結果を得るためのプロセス進捗度、行動計画に対する実行状況、能力向上に向けた努力に対しては、なかなか『評価』されないと感じさせる会社組織体制を見てしまうからかも知れない。
『評価』は上が下の者に点数を付ける“人物評価システム”のためにあるものと思わせている実態からは、結果ばかりを求める管理責任者が当然の任務と認められ、わがままな組織人の集団と化していく姿が創造できる。

 今回の資料からこの『評価』に対する固定概念から逸脱でき“評価の役割”“評価の重要性”“正しい評価の位置付け”“正しい評価による効果”が意外な程に受け入れられ、主体性のあるスタッフを育成できる貴重な一歩を踏み出したような自信が得られた。

 “評価”は、“仕事の進捗状況の確認”と“仕事の出来栄えの見直し”のためにある。
この言葉は、私の“チーム・マネジメント”において教訓の一頁に刻まれる。
実践活動において、部下が掲げた目標を達成させるために実行状況を見直し、進捗度の単なるチェックではない仕事に対する正しい評価を行う事で共通の納得感を持たせ、仕事への充実感を共に味わう。
“出来栄え”を“評価”という行為を通じて確認し、正しい評価により仕事の質を高め、目標の達成度、結果を共に味わい、部下の意欲、能力を高める。
 この“仕事が評価されるシステム”を充実させれば、会社組織が求めている利益という指標に繋がっていくものと痛感した。
 “仕事が評価されるシステム”を率先して実施し、部下と共に結果を味わえる管理責任者の任務を遂行していく。

中田茂利さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第8番目の到着でした。
ありがとうございました。

会社組織における「絶対評価」は「売上げと利益」である。
それは間違っても居ないし誰がやっても同じであろう。
ところがである。
次にそれを受けて仕事をこなす部門の長は、
その会社の「絶対評価」をどのような方法で到達させるのか、
が問われていくのである。
だから中田茂利さんが云うように、
「その結果を得るためのプロセス進捗度」とか、
「行動計画に対する実行状況」とか、
「能力向上に向けた努力」に対しては、
なかなか「評価」されないと感じさせる〜云々〜とあるが、
それは間違いであると僕は思う。
なぜならば、
「その結果を得るためのプロセス進捗度」とか、
「行動計画に対する実行状況」とか、
「能力向上に向けた努力」への基準が「甘い」のであろう。
その結果を得るための「プロセス管理が甘い」から、
会社が求める「結果」が得られないのであろう。
会社が求めている「結果」が満足行くものであれば、
必ずやそのプロセスへの高い評価も得られるはずだからである。
だから、
それらの基準づくりや進捗管理を部下任せにしていては、
会社を認めさせる「結果」を生み出しようがないからである。
第3回目と第4回目の今回の「愛媛実践塾」で、
中田茂利さんが体得し始めている「生き生きとした部下管理法」が、
上記のことをカバーしてくれる「唯一の方法」なのである。
「強烈なリーダーシップの下でなければ部下の主体性は育たない」
との「銘」を肝に銘じようではありませんか。
「部下の主体性を尊重していては真の主体性は育たない」
のであります。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法
『評価』を読んで

平成20年4月28日
愛媛県立中央病院
永見優美

「“評価”は仕事に“区切り”をつけるもの」「“評価”は“仕事の進捗状況の確認”と“仕事の出来栄え“の見直しのためにある」とのべられているが、私は仕事の評価しないまま貴重な時間を過ごしてしまったことがある。
看護部に入って2年間、それまで作成していた「個人目標シート」を作らずに仕事をこなした。頭の中で段取りしながらこなしていくが、文字にしないために目標や計画が明確にならず、それまでのように6ヶ月、1年の評価をすることもなかった。「これでいいのか」と自問自答しながらも、看護部長に「個人目標シート」を作成して、看護部内でお互いの目標を共有することを提案しなかった。その結果、仕事の区切りがつかず「終わりのない双六」状態になり、達成感の少ない悶々とした日々を過ごしていた。看護長研修後、「個人目標シート」を作成して仕事を進め評価をすることで、年度末にはけじめが出来、実践できなかった事柄については今年度の計画に組み込むことが出来た。そうすることで、自分自身の気持ちも切り替えることができた。
看護長以下には目標管理をして、面接の時に目標・計画を具体化することに力を注ぎ、評価もしているのだが、それを指導すべき副看護部長以上が自分自身の目標管理が出来ないのでは、組織として成り立っていない。第一自分自身の目標が明確に具体化できないと、看護長に指導は出来ない。看護部自体が自分たち自身の仕事の目標・計画を明確にせず、評価もしないけじめのない職場となっていたために、看護長ではなく自分たちが問題解決能力を培うことが出来なかったのだと思う。
そこで、今年度は看護部長に提案し、副看護部長・看護部長ともに「個人目標シート」を作成し、お互いの目標・計画を共有したうえで、進捗状況を報告しながら進めていくことにした。そうすることが、自分自身の強制となるとともに、お互いの仕事の流れが見え、チームワークに繋がると考える。
また、「“評価”は人を評価するものではなく、“仕事の目標”と“行動計画と実行状況”を見直し、その“進捗度”を評価するものである」とある。これが私および看護部にとっても非常に重要なことである。個人目標や部署目標の評価をしているにもかかわらず、そこから離れて、ややもすると「人物評価」してしまいがちになる。そこには主観がはいり正当な評価にはならない。正当な評価をしないことは、職員のやる気をなくさせてしまうからである。
さらに「“評価”で人を育てる極意は、“結果をともに味わう場面”を演出することである。」とのべられているが、つい先日の看護長会で実感することができた。数名の看護長が研修の課題の発表をして他の看護長がコメントをのべ、最後に坂部先生にコメントをいただいた。発表したどの看護長も晴れやかな表情をし、翌日「やってよかった」とのべていた。他の看護長も熱心に聴いており、「参考になった。自分もやれそうな気がする」などの言葉が聴かれた、5月、6月に引き続き発表してもらうことにしたのだが、誰も拒否する者はいなかった。“結果をともに味わう”ことは、当事者はもちろん、そこに参加した者にやる気を起こさせることができるのだと実感できた。もちろん坂部先生の的確なアドバイスがあってのことではあるが、このやる気を消すことのないように“味わう場面”を演出してゆきたいと考えている。

永見優美さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第9番目の到着でした。
ありがとうございました。


そうですね。
永見優美さんの病院では、
組織運営の方法として「目標による管理」を採っている。
往々にしてよく有ることだが組織全体で取り組むべき「課題」が、
組織の上層部だけはオミットされることがよくある。
そういう場はほとんどの場合「全組織体」として成功した試しがない。
最末端の一人がやらなくてもたいした支障はないが、
最上部の一人がおこなわなければ全体が駄目になってしまう。
そこのところを永見優美さんはキチンととらえて取り組んでいる。
永見優美さんいわく、
看護長を指導すべき副看護部長以上が自分自身の「目標管理」が、
出来きていないのでは組織として成り立たない。
第一自分自身の目標が明確に具体化出来ないと、
看護長に指導は出来ない。
看護部自体が自分たち自身の仕事の目標・計画を明確にせず、
評価もしないケジメのない職場となっていたために、
看護長ではなく自分たちが問題解決能力を養うことが出来なかったのだ、
と云っている。
また「評価は人を評価するものではなく仕事の目標と出来映えを評価するもの」
であるのに、
「個人目標」や「部署目標」の評価をしているにもかかわらず、
そこから離れてややもすると「人物評価」にしてしまいがちである、
とも云っている。
と云うことは、
「目標による管理」が具体的になっていないことを「人物評価」が指摘しているのである。
「目標による管理」そのものが上手くいっていないのである。
「組織としての評価」が「結果をともに味わう」場面が演出できるようになれば、
シメタものである。
頑張って参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法
「評価」の項を読んで

2008年4月29日
セイレイ工業(株)
田中 雅之

 まず、仕事にはケジメが必要であると言われています。仕事の強弱、ダイナミックさが見失われると。確かに生産現場でも仕事をこなすだけなら能率はかわらず、逆にセーブしてしまうと思いますし、発展・改善もなくなってしまいます。

次にこのケジメの手段が評価だと言われています。評価と言う緩衝地帯を加える事によって効果として
@気持ちの持続が保てる、
A仕事の進捗状況出来栄えの見直しができるをあげられています。 
@気持ちの持続が保てないと言うのは人間の特性でこの評価を利用して区切りをつけ気持ちをフォローできるのはその通りだと思いました。
A仕事の進捗状況と出来栄えの見直しは実際仕事を行い、実態が加味され目標と計画が追加されると精度が向上される言っており、実際の仕事を振り返ると計画・目標を見直ししない事項は実態が把握できていなくつっこんでないと思い返されます。

  そして評価を行なう事によっての善循環の効果としてチームワーク、スタッフ個人能力育成・集団の能力があがるとあります。大いに効果を期待し、やらねばと思わせる言葉があがっていました。まとめとして、評価は仕事の目標をそれを達成する為の行動計画と実行状況を見直し、その進捗度を評価するもので人物評価はダメである。そして心得として目標ははっきりどのレベルまで量と質をもってくるようにさせ、評価の方法と挑戦目標を管理者は工夫をこらさなければならない。

  これからは自職場では評価の方法をしっかりして、目標を個人によってうまく
方針にそうようにたて、意欲がでてくるものにもして、短期間、長期間と
人によって変えたりもしいき善循環が広がるようにしていきたいです

田中雅之さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第10番目でした。
ありがとうございました。

「評価」は「人を育てるためにある」と云うことを、
まずは腹に底に叩き尽けておきましょう。
そうすれば「評価」の問題点の全てに変化が起きてくるのです。
ほとんどの組織体で「評価」というものは嫌われています。
嫌うべきものは「評価」ではなくて「人物評価」のはずです。
と言うことは「評価する側」が勉強不足であると僕は思うのです。
組織体で一番大切な業績というものをキチンと見ようとしないでおいて、
なぜ「人物ばかりに目が行ってしまうのでしょうかね」
不思議でなりません。
管理する側の目と頭がぼや〜としてサボっていると、
「部下の駄目なところばかりに目がいくもの」のようです。
反対に管理者の観察力が育ってくると「部下の良いところ」と、
部下の「仕事の業績」と「進捗状況」が見えて来るのです。
そうすると皆からはやる気が芽生え、
次への意欲が高まってくるのでしょう。
田中雅之さんがセイレイ山田工場の溶接現場で、
生き生きとした部下たちに囲まれて働かれることを期待して、
「結果をともに味わう」ことをおすすめします。

ではでは。 (by 坂部正登)

 

組織を生き生きさせる実際的方法

会社名 ミロクテクノウッド
作成者 大原 拓史
作成日 2008/5/6

 今回の資料を読み、評価を
「評価は仕事の区切りを付けるもの」
とゆう見方は今までには無かった。
確かに、部下に対し人事考課などを含め色々な評価をしてきているが、ただ漠然と評価してきている様に思う。
方針として部下にも年度目標を設定させているが、目標に対しての量と質といった観点から部下に対して時には厳しく評価は出来ていない。
その結果、同じ目標に協力しながら取組み結果が出たとしても、同じ様な喜びや反省は見られないと感じていた。当然だと思う。部下に対し、評価を返していない為に部下は、業務の進捗状況の確認や仕事の出来栄え確認、出来栄えの見直しが出来ないままメリハリの無い状況で業務を継続しなければならない状態になっている。
その事を今まで行なってきたことに気が付いた。
今、ちょうど会社は上半期が終わり下期へと入ったタイミングにある。
今一度、部下の方針目標(自分も含め)の進捗状況の確認、到達目標時期や到達目標レベルの出来栄え確認を行い中身のある評価をしたいと思う。
そうした中で、部下や周りの部署とも結果を味わいながら日常の忙しい業務に対して取組んでいきたいと思う。

                                 以上

大原拓史さんの「愛媛実践塾・第]T期」の、
「宿題Cレポート」は第11番目の到着でした。
ありがとうございました。

「連休」は如何でしたか?
普段の忙しさの分多少はゆっくりできたでしょうか。
ところで、
「評価は仕事の一区切り」として使うと気軽ですし、
気分的にもゆったりとして来ます。
その「一区切り」は一年でなくても、
毎月毎週に課題の進捗状況を把握すれば「一区切り」となるのです。
ただしそのためには「期首に各自に課題」を持たせ、
その「到達目標」と「到達期日」を話し合っておく必要があります。
そのことを「組織として習慣づけ」しておくと、
「評価は常に楽しみなもの」に変化するはず。
また各自に「課題」があって「目標・方針」があれば、
毎月定期的に「その進捗状況の確認」をおこなうはずですから、
それがすなわち「評価」という「仕事の一区切り」なのです。
「評価をおそれず」「評価を侮らず」に楽しんでおこなえば、
組織は元気になり活性化され社員はやる気になっていくのです。
そう状況になれば「結果を共に味わう」という「評価の醍醐味」を、
組織の仲間とともに楽しむことができるはず。
「仕事の生死ははじめにあり」です。
やるべき事は先にやって後は楽しんで参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)


『愛媛実践塾・第]T期生・第1回目の宿題レポート』

『愛媛実践塾・第]T期生・第2回目の宿題レポート』

『愛媛実践塾・第]T期生・第3回目の宿題レポート』

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