『愛媛実践塾・第]U期生・最終回 卒業論文』         2008年12月10日 登録

ネパールの煙突計画を読んで

愛媛県立中央病院 兵頭三保

 ネパールの煙突計画を読んで実践塾での学びを振り返ることができた。
 ネパールの山村での問題は何か、D医師は「ネパールには薬が足りない」と、それを直接的にはすぐに答えを出さないでD医師の口から「わーこの煙と埃はどうだ…この煙と埃さえなくなれば今診ている病気の8割は無くなるだろう」と言わせしめたこと。以前震災の際に毛布が足りないと毛布を送ったが実は毛布は有り余っていたと聞いたことがある。単なる思い込みで事を起こすとこのような結果となるが、実際に足を運ぶことで現場の問題が見えてくる。実践塾最初のチーム発想法で「事件は現場から」と何度も口にし、事実から問題の本質を考える。“ありのままに”がこの事であると思った。
 「煙突はネパール人の手で」外国人の単なる思いつき的着想でなされてよいものではない。それは最後の実践塾の中で「助手業務を他部署の看護長が明日から別の方法でおこなうように言っても文句が出るだけで上手くいくわけがない」と言われたようにその環境に置かれた者が実際に行わなければ煙突づくり繋がらなかったと思う。煙突づくりにはこのような方法があるというアドバイスがあったから、また現地で同じ思いの人物がいたから煙突ができる経緯に繋がったのだろう。失敗を繰り返すことで学ぶことがあり成功へと導きだされる。そして出来上がったものには方法手順が必要で、人が代わっても誰でもが同じようにできることで煙突とかまどづくりを業とする者が現れる副産物的成果となる。
 私たちもネットワーク法を実践することで後輩の育成に繋がりそこから副産物が数々生まれてくるのではないだろうか。忙しいと言っている職場に人が寄ってくるわけがない。職場は楽しいものである。楽しく感じさせる方法もあるのではないだろうか。ある病院は看護研究が盛んでそこには新人が多数応募してくると聞いたことがあるように、現場の中から問題を見つけ数値化する方法が広がれば欠員の問題はどこかに行ってしまうのかも。研究の方法が、どうだとか、院内の決まりがどうだとか言っていると研究はしたくなくなる。とスタッフも言っている。まず始めることから、行動の中にはアイディアがある。いろんなアイディアが出てくる柔らかい頭でありたい。

 実践塾に参加し数々の学びがありました。透析室の現状をほかの施設の方に伝えようという必死に説明したことは一緒に参加されていた看護部の方にも伝わったと思うので最高の理解される場所となったと思います。またこの実践塾に参加しなければ会うこともなかった戦友もでき、他職種にもいろいろあること、職場が違っても同じような問題を抱えていることを知ったことも学びのひとつでした。「自己の成長」のない「他者へのかかわり」は無価値な押し付けであり、「他者へのかかわり」のない「自己の成長」は自己満足でしかない。この言葉を思い出しながら、これからの看護師生活を送ってゆきたいと思います。本当に楽しい時間と学びをありがとうございました。

兵頭三保さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]U期生・第4番目」の到着でした。
ありがとうございました。

兵頭三保さんは「素直さが一番」と叫んだ人である。
人間…何が大切かといって「素直さ」以上に大切な特性はあるまい。
「素直」であれば「自分の知らないことがどんどん入ってくる」のである。
だから「素直さは全ての教育の原点」である。
「知らないのに知ったかぶりをする輩」が一番頂けない。
ところで「ネパール」の話であるが、
やっぱり兵頭さんは僕のネパールの活動の中の一番のポイントを、
ズバリととらえてくれている。
自分が発見しつつある「煙突づくり」という答えをドクターには云わずに、
「ネパールに薬が足りない」と云っているドクターのメンツをも潰さずに、
ネパールの田舎の煙だらけの農家の実態の中に連れ出して、
「わ〜ぃ…!!! この煙と埃はどうだ…この煙と埃さえ無くなれば、
今ぼくが診ている病気の八割はなくなるだろう」と言わしめた場面が、
この「ネパールの煙突問題」の第一の関門だと兵頭さんは見抜いている。
また実践塾の最終回の場面で僕が大きな声を出して叫びたかったこと、
「助手業務を他部署の看護長が別の方法でおこなうように云っても、
文句が出るだけで上手く行くはずがない」と云う点をもとらえてくれている。
兵頭さんは「素直な心と感性」を兼ね備えていると云わねばなるまい。
また今病院で取り組んでいる「ネットワーク法」についても、
「私たちがネットワーク法を実践することで後輩の育成につながり、
そこから副産物が数々生まれて来るのではないだろうか」とも。
「忙しい忙しい」と云っている職場に人が寄ってくる訳がない。
そもそも「職場は楽しいもの」である。
以下のことも以前僕が話したことだが、
「仙台のある病院では看護研究が盛んで新人が多数応募して来る」
と聞いたことがが、
現場の中から「問題を見つけ数値化する方法」が広がれば、
「欠員の問題」はどこかへ行ってしまうのではないだろうか。
「研究方法がどうのとか」「院内の決まりがどうだ」とか云っていると、
「研究はしたく無くなってしまう」とスタッフも云っていると。
今の現場の人員不足をブーブー云っているだけの看護長の、
誰がこう云った柔軟で強靱な感性を持っているであろうか。
兵頭三保さんが現在保持している「この柔軟で強靱な感性」を、
早く現場の役に立ててバリバリと働いて貰いたいものである。

ではでは。 (by 坂部正登)

Tuesday, December 09, 2008 10:27 PM

 

「ネパールの煙突計画」を読んで

平成20年12月8日
愛媛県立中央病院 河野 知子

 実践塾最後の宿題は驚きの連続だった。その一つはこの分厚い本は先生の旅日記なのだと思っていた(失礼ですね。)らなんとまあ事実から学ぶ問題解決の方法が物語りでもなく実際に行われていたこと。二つ目はネパールの標高2000〜3000メートルもある小さな山村で手作りの海外援助が行われていたこと。そして三つ目はその中で行われた地域実態調査は私が新人看護師だった頃学んだKJ法の大家川喜多田二郎先生の主催されたものであった事だったことであった。
その中でも私が興味をそそられた部分は、先生がネパールの人々の地域実態調査に朝夕1軒1軒を訪ね歩き、村民の暮らしの中から「家の中の充満する煙がネパール人の健康を阻害している」と問題を見つけたことである。半年間の実践塾で私が学んだのはまさにこの「現場の問題は現場に足を運んで事実の中から学べ」ということであった。実践塾最初の頃の私は仕事上の問題点は「忙しすぎて物を大切にしないスタッフが問題。」と決めつけていた。しかし絆創膏さえも大切にできない理由は何?と問いかけて調査を開始してたくさんのグラフを書いてみると使用実数、使用期間、単価、患者への使い方の実態などが見てきて有効で患者にとって安全な使い方はどうあるべきかを実際の中から見つけることが出来た。これは自分の部署での問題を見つけるために「やって・見て・考えて」と調査を繰り返し行った結果明らかに出来たのだと思う。「薬の不足」に目を向けたのでは問題の本質は見えてこないのであり、この問題の本質がずれないことは仕事上では特に大切なことであると思う。そのための綿密な計画に基づいた調査が大切なのはいうまでもない。実践塾で学んでいない半年前の私はこの問題の本質を見つけられずに机上の解決策を並べて解決したそぶりをしていたのかも知れない。本当に実践塾には感謝している。
またこのネパールの煙突計画はとてつもなく壮大な計画に発展していた。先生が直接村民と触れ合う中で見つけた問題を、現地の住民を巻き込んで「自分たちの問題」にしていったことで「人が育っていく」ことである。自分たちの手で煙突を作ることが煙から開放された生活につながり、産業にも発展し、森林の伐採を減らし健康で衛生的な国づくりにつながるという副産物は計り知れないということに住民自ら気が付けば、煙突の普及は早いに違いない。仕事上の問題を解決するのに理想論を振りかざすのでなく実践塾でも学んだように「人離れして素直な気持ちでものを見ること」で自己の成長が出来たら、真の問題の発見が出来、人はおのずから向上心を持って解決しようとするものかも知れない。
今次席である私は、スタッフの実践的モデルとして人を育てる立場にもある。今回実践塾の学びを現場のスタッフに示しながら解決策を強制するのでなく、自分たちの意思として示して欲しいと思っている。事実を事実として受け止めて反省の中から向上させていく気持ちが大切であるということを今伝えようとしているところである。また、問題解決には周囲の人を巻き込んでいくことも大切であり、一人一人のことをもっと大切にしなければならないとも思う。毎日の忙しさに根を上げそうになりながら不平不満を言いながら働いていた自分を反省し、実践塾で学んだ向上心と感謝の気持ちを忘れないで、看護というすばらしい職業を選んだ仲間とともにこれからも成長していきたいと願っている。

実践塾で支えてくださった坂部先生や先輩方、そして十二期生の仲間とともに学んだ半年は何物にも変えられない貴重な時間でした。少し寂しいなあという気持ちもありますが、課題は山積みの現場の問題を一つずつ解決するためネパールの煙突計画を地図として一歩を踏み出したいと思います。ありがとうございました。

河野知子さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]U期生・第3番目の到着でした。
ありがとうございました。

河野知子さんはこの半年間を「実践塾」とともに歩み、
「実践塾の仲間」とともに成長して来ましたね。
そして何よりも河野知子さんとして大きかったことは、
「現場の事実とともに歩みはじめた」ことでありましょう。
僕の「ネパールの煙突計画」という拙い実践活動が、
河野さんに大きな関心と大きな影響を与えたとするならば、
それを受け留める心が河野さんの中に育っていたからだ、
と云う以外に説明のしようがありません。
河野知子さんがこの半年間の「実践塾」で学んだことは、
「現場の問題は現場に足を運んで事実の中から学べ」
ということであったと河野さん自身が述べていますが、
これこそ「実事求是・創意工夫」の極意ですね。
そしてまた河野知子さんはこうも述べています。
「半年前の私は問題の本質を見付けられずに、
机上の解決策を並べて解決したそぶりをしていた」
のかも知れない…と。
僕は河野さんのことを「そうであった」とは思いませんが、
でもあなた自身がそのように受け止めていることが大切であり、
また何よりも素晴らしいではありませんか。
こういう受け留め方をする河野さんの感受性が尊いのです。
また、
「仕事上の問題を解決するのに理想論を振りかざすのではなく」、
「人離れして素直な気持ちでものを見ること」で、
自己の成長が出来たら「真の問題発見」が出来るようになり、
そういう人は「自ずから向上心を持って解決しようとする」のかも知れない、
と締めくくっている。
毎日の忙しさに根を上げ不平不満を云いながら働いていた自分を反省し、
後輩スタッフには「事実を事実として謙虚に受け止め」て、
その「反省の中から向上させていく気持ちが大切」であると云うことを、
今河野知子さんは後輩たちに伝えようとしている、と。

ではでは。 (by 坂部正登)

Tuesday, December 09, 2008 1:24 AM

 

ネパールの煙突計画をよんで

愛媛実践塾 第]U期生
中央病院検査部
田村ひろみ

ネパールの煙突計画をよんで、最初に「ネパールの煙突計画を進めていくにはネットワーク・人と人のつながり」が重要な位置を占めると思いました。
川喜田二郎先生の「手づくりの海外技術援助」の一員として、坂部先生が「シーカ村の簡易水道の設置と地域実態調査」を担当する傍ら医師の医療マネージャーも兼ねていた。そして、シーカ村の2人の高校生(ゴパール君とゴネス君)、第1回ネパール創造性教室の22名の若者、ダンバス村の小学校、ネパール側の参加者のヤギ君、インドラマン君の2人、サノ・ティミ村にある煙突用土管を作っているマン・カジ氏、ネパール政府の森林保護局のストーブ計画の担当官クムド・シュレスタ氏、サジャーニ・シュレスタ女史、第2回・第3回・第4回ネパール創造性教室参加者。など次々と繋がっていきます。
そして、このネットワークを支えているのが坂部先生の「事実から学ぶ」の創造性教室の基本方針であり、「ネパールに対して自分は何ができるか」と問い続ける人材を生み出そうとする強い意志だと思います。
海外援助はその国その土地の文化を壊すことなく、その地の人たちが継続してできる援助をすることが大切だと、誰もが分かっています。しかし、この坂部先生が行っている現地で実態調査を行い、現地の人たちと交流し「事実から学び」「ネパールに対して自分は何ができるか」を考えつつ継続的に行うことは、なかなかできるものではありません。行動しない私が「何も言えない」と思ってしまうほどに強い意志を感じました。
そして、実践塾生を「ネパールに煙突計画」の中で、「問題発見能力と、問題解決能力」を育てつつ「自己の成長を」と「他者への援助」を行える人材として生み出そうとしています。
「自己の成長」のない「他者へのかかわり」は押しつけであり、「他者へのかかわり」のない「自己成長は」自己満足でしかないという理念は、私も常に肝に銘じていることです。
今回本物の実践者と出会い「事実から学ぶ」を実践し「自己成長」となり「他者への援助」の原動力となりました。本当にありがとうございました。また共に学んだ7人の方にも「私の知らない私」に気付かせていただき感謝しています。

田村ひろみさんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]U期生・第2番目の到着でした。
ありがとうございました。


そうですねえ。
仰るようにこういう仕事は、
人のつながりと云うことがもっとも大切なのかも知れません。
我々は一年中ネパールへ行っている訳でもありませんし、
一年に10日から2週間程度の現地での活動ですから、
なおさらです。
そういえば僕は人と人とのつながりの大事さを、
このネパールの活動の中で学んだのかも知れません。
今年の2〜3月に久々にネパールへ行ってきましたが、
この活動の20数年の間に関わってくれたネパールの友人たちが、
わっと集まってきてくれ旧交を温めることが出来ました。
それほどまでにネパールの彼らにとっても、
強烈な印象を与えたプロジェクトだったのでしょう。

この活動を進めている最中は無我夢中でしたから、
僕自身まだよく咀嚼していなかったものが沢山ありましたが、
今年久しぶりにネパールへ行ってみて、
この「煙突計画」に携わってくれたネパールの青年たちが、
人間として皆それぞれに成長しており、
各自が自分の金銭的な余裕の範囲で、
独自のプロジェクトを立ち上げて、
ネパールの底辺を押し上げるような試みをしていることを知り、
驚きまた喜びもひとしおでした。
たとえばグループを組んで山間僻地の村々へ出かけていって、
まだ義務教育でない学校へ行けないような貧しい子どもたちに、
勉強をする機会を創ろうとしていたり、
やはり貧しい田舎のこどもを預かる「託児所」のようなものを創って、
まずは保健衛生環境を整えるところから始め、
次に勉学のチャンスを与えようと頑張っていたのです。
ネパールでは王制打破と民主化の激しい要求があって、
ちょうど日本の明治維新か戦後の混乱期のようなネパールでは、
社会の底辺を押し上げるような啓蒙と指導が必要であると、
強く認識することが出来ました。
田村ひろみさんぜひとも一度ネパールへご一緒されませんか?
日本の腐りきった精神が洗われること必定ですよ。
今の日本という国はどこか大切なところの歯車が噛み合わず、
国中が狂っているとしか思えませんものね。

来春また僕が県立中央病院へお邪魔しました折りには、
実践塾の仲間の皆さんに集まって頂いて、
親しく夕食会でもやりましょう。

Monday, December 08, 2008 4:07 PM

 

「ネパールの煙突計画」を読んで

H20年12月5日 
愛媛県立中央病院 岡本博子

 今回で最後の宿題、「嬉しいやら」「まだあるの?と悲しいやら」複雑な思いで頂いたごつい本を開いた。最初は言われたページのみ読んでさっさと終わらせてしまおう(本音)と思っていた。何が何が、ページを開くと引き込まれてしまった。4日間で殆んど目を通してしまった。(熟読ではないが)私が子育てで奮闘していた23年前からこんなな事がされていたのかと、別世界の出来事に正直驚きを隠せなかった。さてさて本題に入れます。
 私が感じているネパールと言えば、山の中で原始時代の様に生活をしているイメージである。電気もガスもない生活状態で、また健康や保険衛生に対する意識の乏しさから病に侵され死亡率は高く、平均寿命が40歳前後というのは日本では考えられない状況です。一番に考えることは、病気を治す為に薬が必要であるが不足していることをあげます。しかし、現実問題はネパールの人の生活状況にあったのです。当り前の生活が問題解決を遅らせたのだと思います。「けむりとほこりで病気になるのは当たり前」この根本的問題を解決するのが「煙突」だったのですね。ここに行き着く前には慎重な下調べが必要であり、それを実施した結果がネパールを救ったと言えます。煙突による副産物の成果は、想像を絶するものであり、偉大な業績です。創造性教室での「事実から学ぶ」ことを主眼に「やって・見て・考えて」方式で物事を捉える事の大切さを痛感しました。
 縁あって、今回、愛媛実践塾に参加した事は、私にとってとても貴重な体験でした。振り返れば次席としての私は、数年前挫折を経験しやりがいを無くしていました。それを救ってくれたのは信頼する看護長であり、やる気を取り戻した矢先、看護長の退職でした。しかし、やる気を取り戻し前進することは教えてくれた看護長に感謝しています。
 今年病棟の統合により、多数の問題を抱えスタートしたが、今なお問題は山積みされている。次席として何が出来るか?今回記録に関しての問題を取り上げ約5ヵ月間学ばせて貰いました。結果、事実を知ることが出来、今後の事を改善する一つの手助けになったことは間違いありません。「ネパールの煙突」には足元にも及びませんが、私なりに実施していきたいと思っています。また、他職種の人との触れ合いも今までにはなかった体験であり、学びながら楽しく過ごした実践塾を思い出しながら自己研鑽したいと思います。私の中のともし火に点火し、気持ちを変えてくれたことが一番の副産物であり、今後幾つもの副産物が体験出来ることを願っています。今は、こんな考えが出来るようになった自分への成長に驚き、実践塾に感謝しています。

岡本博子さんの「愛媛実践塾・卒業論文」の、
「ネパールの煙突計画・読後感想レポート」は、
「第]U期生・第1番目の到着でした。
ありがとうございました。


岡本博子さんのこの見事な、
「ネパール煙突読後レポート」、
どうもありがとうございました。

この岡本博子さんの「ネパール煙突読後レポート」は、
岡本博子さんがこの半年間に及ぶ「第]U期・愛媛実践塾」で、
大きく成長された何よりの証拠でありますね。
僕がネパールで「煙突ごとき」にかかずらわっている間に、
岡本さんはお子さんを生み育て、
その上に看護師として独り立ちしながら活きて来られたのですから。
そして挫折しをも味わい自分を見失いかけていた矢先の…、
信頼する看護長さんとの出会い…そして別れ…、
病棟の統合といった多難な業務に追われての実践塾参加でありました。
この間の岡本さんは何か人生の一大ドラマの主人公のようでありましたね。
岡本博子さんは実践塾参加の当初から人並み以上の馬力を全快させて、
「職場の記録」を「課題」として「定量データ化」させ、
職場を「見える化」して来られ、
自分たちの職場の「問題のありか」を自分の手の内に握ぎりしめて、
さあて…これから満を持して「職場改革に出かけよう」とされているのですから、
僕のネパール以上の実社会での頑張りを大いに期待し、
声援を送りたいと思います。
実践塾の仲間たちと共に「チームマネジメント」で頑張って参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)

Friday, December 05, 2008 2:32 PM

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 


 

 


 

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