『愛媛実践塾・第]U期生・第4回の宿題レポート』         2008年12月6日 登録


組織を生き生きさせる実際的方法「評価」を読んで

                          平成20年10月28日
                         愛媛県立中央病院 岡本博子

 「評価」を国語辞書で調べると、@物の価値や価格を(論じて)決めることA(教育で)児童、生徒の学習効果について判断することとあった。ここで書かれているように、仕事の中における「評価」という段階は、一つの仕事に「区切り」を付けるという重要な位置づけを持っている。又、仕事のケジメをつける有効な手段が評価であるとも書かれている。職場において些細なことから1年間を通して評価することがある。例えば、日勤業務を時間内に終了させることも自分自身が到達目標を、時間内に業務を終了するとあげ、患者一人一人のケア処置等の優先度を考え行動計画を立てて実施しているからである。仕事が早い人は決して手を抜いているのではなく、個人の計画づくりの能力が優れているのである。しかし、1年間を通しての個人目標になると、目標と行動計画が具体化されず抽象的になり、「評価」が出来にくい内容となることがある。5W1Hで記入するよう注釈はあるが、それが出来ないのは自身の目標設定に問題があるからであろう。今までを振り返ると、何か大きなイベントがある時は別として、マンネリ化した目標をあげていた自分が恥ずかしく反省材料となった。他者への評価をすることに関して、私は次席の役割としてクルニカルラダーの「評価」を実施している。個人の自己評価を中心に評価をする傾向があるので、果たして本当にその人の仕事ぶりを見て評価が出来ているのか問われると、100%そうであると言い切れないのである。評価は“人を直接評価”するものでなく“仕事の目標”とそれを達成する為の“行動計画と実行状況”を見直し、その時“進捗度”を評価するとあるように、私もスタッフの評価をする際はスタッフを人物評価せず、“人を育てる”ものとして真剣にとらえたいと思う。“評価”が“スタッフを育て”さらに“婦長をも育てる”とあるが、看護記録に関しては実践モデルとしての次席に一任されている。現在私が取り組んでいる問題が、まさしく受け持ち患者に関しての入院から退院までの経過であり、その中には「評価」が数えきれないぐらいある。受け持ち看護師に殆んど任せていた現状において、主体性のあるスタッフは何も言わなくても実施出来ているが、一部のスタッフは基本を守らず自分の思うようにしている。主体性とわがままは一枚の紙の裏表であり、紙一重の関係であることが痛感出来た。今まで新人からスペシャリストの一人一人は、受け持ち患者を通して大小看護の喜びの一つや二つは経験していると思われる。しかし、「忙しさ」が先頭立ち疲労感だけが残っている現場で「結果をともに味わう場面」を経験できる演出者の一人として、関わっていきたいと思う。実践塾での学びが私の中に当り前のように取り入れられ、財産のように積み上げられている。今後決して頭でかっちにならないよう、又、財産をスタッフに投資出来るよう頑張りたいと思う。

岡本博子さんの、
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第1番目」の到着でした。
ありがとうございました。


岡本博子さんがこの「レポート」の中で云っているように、
「一年間の目標と行動計画が具体化させず抽象的」になると、
「評価」が出来にくくなり「人物評価」におちいりやすと。
「人物評価」では人は不平不満ばかりが渦巻き、
不平不満の輩を育ててしまい一人前のスタッフは育たない。
まさにその通りである。
それを避けるためには年度の初めに「各自の仕事の目標」と、
「その行動計画」と「実行状況」と「進捗状況」をつかむことである。
それがおのずと「評価」であり「人を育てる方法」なのである。
このように「評価」と云うものの「意味」と「価値」をとらえると、
「結果をともに味わう」という評価の最終段階での醍醐味が、
おのずと生み出されてくるのである。
「人は厳しい道を歩むときに育つのであり」
「人は一人では厳しい道は耐えられないもの」
「仲間とともに厳しい道のりを競うときいい知れぬ喜びが芽生えてくる」。
だから「かわいいスタッフには自由に自主的に」と云っているようでは、
(これは上司として自分が嫌われたくないことへの裏返しなのだが)、
そういう上司の職場では「わがままなスタッフばかり」が育ってしまい、
「自己主張ばかりの大物」が育ってしまうのである。
「主体性」とは「困難を買って出ること」または、
「人の嫌がることを喜んでやること」を云う言葉である。
「問題よ〜!!! 我に来たれ〜!!!」と。

ではでは。 (by 坂部正登)

Tuesday, October 28, 2008 1:50 PM

 

「評価」を読んで

2008/11/1
(株)ミロクテクノウッド
林  賢二

  私の会社では、年度の初めに自己申告表を提出しなければいけません。部方針、課方針をもとに自分自身の今年度の取り組むべき課題、目標を具体的な数字で掲げ、四半期に1度進捗状況を報告する形式になっています。
 自己申告以外の評価でも、査定の評価が、課長よりメンバー全員にフィードバックされるしくみに
なっていて評価をうけるたびに反省しなければいけない点や、まずまずの評価を得て、更に頑張ろうと言う気持ちになり評価ということは、とても大切なことだと日々思っていました。仕事に”評価”という緩衝地帯を加えることによって”仕事の進捗状況”と”出来栄えの見直し”が、でき、また気持ちの持続が保てるようになる。まさにその通りだと思いました。
 自分自身の中でも課題を見つけて問題解決に取り組むうえで、自分だけしか関心がなく、評価
されないものは、途中でなげだしたり、止めてしまうのではないだろうか?問題解決が進まず自分の方法の良し悪しを評価されなければ、やる気は薄れて行くのでは、ないだろうか?
 幸いにも、私自身は自分自身で納得できる評価をうけてきましたが、部下に対して正しい評価ができていたであろうか?と疑問が残ります。
 評価される事は簡単ですが、評価する事の難しさは年2回ある査定で苦労しているところです。
 今後の取り組み方として、自分の課題内容を上司に伝え評価してもらう事や部下の取り組み
内容に対しての評価を正しくできるマネジメント力を身につけ、職場のやる気をひきだし活性化させる事が私の課題です。

林賢二さんの「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第2番目の到着でした。
ありがとうございました。

林賢二さんの会社では、
「評価」と云うものの筋道がきちんと整っています。
あと残された問題点は「評価」の運用上のことでしょう。
「評価」の為の筋道や方法をきちんと整えたとしても、
「評価」するのは何といっても「人」です。
その「評価する人」によって多少の(いやいや大いに)、
食い違いが生じてくることでしょう。
その「評価する人」の下の「評価される人」は、
その上司の「評価の仕方」と「評価結果」によって、
自分の人生が左右されてしまうかも知れないのですから、
大変なことなのです。
ですから組織における「評価システム」はできる限り、
「人のよる差異」が生じないように考えて作られるのですが、
結局「評価」とは「評価する人」と「評価される人」との間の、
「人間関係が一番大切なもの」といえるでしょう。
また「人による評価のずれ」が生じないようにする為には、
「課題」を具体的にして誰が見ても分かるようにする事と、
その課題の「達成目標」と「達成期日」をきちんと決め、
毎月毎月その「課題の進捗状況」を把握する事でしょう。
そうすれば「評価する人による差異」は殆ど無くなる、
と云っても過言ではありません。
そうすれば「結果をともに味わう」と云う、
「評価の醍醐味」と云う美酒を味わうことが出来るでしょう。
要するに「課題を具体的にする」こと、
「評価」はこれに尽きます。
頑張って参りましょう。

ではでは。 (by 坂部正登)

Saturday, November 01, 2008 11:36 AM

 

組織を生き生きさせる実際的方法「評価」を読んで

愛媛県立中央病院 河野知子
平成20年11月2日
 

仕事をしていて「評価」は毎日のように行い、当たり前にしていた。今回評価は仕事の波形の強弱や流れのダイナミックさを見失わないためにも必要なことであるということに改めて気付かされた。その中でも「仕事の波形」という言葉は看護職の私にはとても新鮮であった。
 私たちは毎年のように個人目標を決め、それと連動して係りの活動計画を立て、それが病棟目標と看護部の目標につながっている。しかしその目標を立てるときに到達目標と行動計画が具体的に立てられていないと正しい評価はできない。評価をするときに「何%の達成であった」という評価の仕方しか出来ていなかった。それは「仕事の目標」がそれを達成するための「行動計画」が何をいつまでに行うのか具体的にされず、実際の仕事の実行状況やその「進捗度」を評価できなかったからであることに今更ながら気づいた。これまで部署での係り活動は、自分がやりたい係りを自分たちで決めて、年度当初に目標を決めて活動し、半年を区切りに中間評価を行っている。しかし半年後は自分たちで決めた目標の到達時期やレベルさえもあいまいで「忙しいからできない」「やる気がない」「自主性がない」という「人離れしない評価」をして一年が過ぎていたのでは仕事の楽しささえも味わえない。
 また、これまで仕事をする上で「スタッフを巻き込んで」ということは「スタッフの主体性を生かす」ことであると思っていた。しかしスタッフの主体性は待っていても育たない。今回実践塾で学んだチームマネージメントの知恵と工夫で人を育てることができれば自らやってみようというスタッフが育つような気がする。
今回私は、実践塾で絆創膏の実際の使われ方の調査結果をグラフにしてスタッフに示した。自分たちが毎日使っている絆創膏に看護師だけでなく医師も興味を示し、調査に協力してくれ、定数の削減や衛生面を考慮した使用方法を自分たちで考えることができた。「スタッフを巻き込む」ということは目標の設定段階において皆が興味を示す内容であることも大切かも知れない。係り活動や日々の看護の評価において、皆を一緒に引っ張ることは大変であるが肝心な役目を持っている人に働きかけ、目標作りで期限とレベルを決めるような指導をし、評価の段階で「ここまではよくできているね。もう少し良くなるためにあと何がどのくらい必要か一緒に考えよう。」と言えば人は大きな力を発揮してくれる。さらにその人が他の人を育て「面白いね。楽しいね」と皆を巻き込むことが出来る。無関心・無感動では子供が育たないのと一緒なんだと感じた。その意味で看護長の面接は目標管理において評価の場面で人を育てることが大切な場面である。チームワークが大切な仕事では「達成感」が明日へのエネルギーになる。毎日の看護でも正しい評価でけじめをつけ、チームマネージメントで意欲と能力を錆びないように刺激して人が育つ職場にしたい。

河野知子さんの、
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第3番目」の到着でした。
ありがとうございました。

さてさて、
河野知子さんは「評価のレポート」の中で、
大変大切なことに気づいている。
河野知子さんの職場では毎年毎年、
「看護部の目標」「病棟の目標」「個人の目標」を立てている。
だがそのそれぞれの段階の目標を立てるときに、
「到達目標」と「行動計画」が具体的に立てられていないと、
「目標」は実行されにくいし「正しい評価」はできない、
ということに気づいたのである。
「評価するときに何%の達成であった」と云う評価しか出来ていなかった、
と今までの「評価」の「問題点」と「その状況」をもキチンと捉えている。
「行動計画で何をいつまでにおこなうのか具体的」にされず、
実際の仕事の実行状況やその進捗度を評価できなかったからである、
と今更ながら気づいたと云っている。
また「スタッフを巻き込む」と云うことは、
「スタッフの主体性に任せることであると思っていた」とも云っている。
では今後どうすれば良いのだろうか。
皆を一緒に引っ張ることは大変であるが肝心な役目を担っている人に働きかけ、
目標づくりの段階で「期限」と「レベル」を決めるような指導をし、
評価の段階で「ここまではよく出来ているね。
「もう少し良くなる為にあとどれくらい必要なのか一緒に考えよう」と云えば、
その人は大きな力を発揮してくれるであろう。
さらにその人が他の人を育て「面白いね。楽しいね」と皆を巻き込んで行くことで、
「無関心・無感動なスタッフをなくしていけるんだ」と河野さんはやる気満々である。
このようにして「評価の場面が人材育成の場」と気づいた河野知子さんの今後は、
果てしなく広く大きいものが期待できよう。
今後が楽しみではある。

ではでは。 (by 坂部正登)

Sunday, November 02, 2008 7:01 AM

 

     組織を生き生きさせる実際的方法「評価」を読んで

                          愛媛県立中央病院 兵頭三保

評価は仕事に区切りをつけるもの。区切りをつけることが重要な位置づけであり区切りをつけることが評価に繋がることに気づきもしなかった。
今まで人が人を評価するのはどこに評価基準を置くのだろうか、人が人の評価なんてできるわけがないと私自身も思っていたところがある。
 看護という仕事の中ではたびたび評価ということを口にする。というか実際評価の繰り返しだ。患者に対し患者目標と看護目標を設定したうえで目標に対し計画を立案する。その計画に対し評価日を設定し実践していく。そしてその実践内容を評価する。今まで何年もこの評価を行っていたのに、ここでいう評価と、職場における私たちスタッフの評価とは違うものと捉えていた。だから人が人を評価できるわけがないと思っていたのだ。
 評価するにあたっては、仕事の到達期限と、到達目標を決めると感情を交えず、都合のよいように解釈せず、人離れすることとなり仕事が評価される。評価にもチームマネージメントが必要でスタッフを巻き込んで力強くリードする組織運営が組織を活性化させる。そして誰もが評価に参加し結果をともに味わうことで更に組織が活性化される。
 組織を生き生きさせる実際的方法の一連を学ぶことで、自分がいかに人離れに弱いか、がみえた。人離れするために実際的方法の通り実践して行くことで私がこの研修に参加した動機「自分を変えたい」に繋がるのではないかと思う。

兵頭三保さんの、
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第4番目」の到着でした。
ありがとうございました。

兵頭三保さんはこの「評価レポート」の中で重要なことを語っている。
今まで兵頭さんは「評価」を表面的にしか捉えていなかっただけに、
この冊子を読んで返って「評価の本質」をキチンと把握できている。
「評価」するに当たっては先ず、
「仕事の到達期日」と「到達目標」を決めることから始めねばならないこと。
そして「それが出来れば感情を交えずに」
また「自分の都合のよいように解釈せず人離れする」こととなり、
「仕事そのものが評価されるのだ」と云うことを…である。

この「組織を生き生きとさせる実際的方法・シリーズ」では、
どこまで行っても「人離れ」が「メイン・テーマ」であった。
兵頭さんは「評価」にまで「人離れ」できていない自分に気づいた。
この膝を叩くような分かり方のことを「納得」と云う。
頭で分かる「理解」とは雲泥の差であり、
頭で分かる「理解の仕方」では殆どのものは解決しない。
「納得」しそれを「体得」させるところまで身体に滲ませることが出来れば、
他人には「兵頭が変わった」と言わしめられるのではないか。

ではでは。 (by 坂部正登)

Sunday, November 02, 2008 11:06 PM

 


組織を生き生きさせる実際的方法「評価」

                           愛媛実践塾]U期生
                            田村ひろみ

評価は「仕事の目標」とそれを達成するための「行動計画と実行状況」を見直しその「進捗度」を評価するのである。私もそうだと思う。
しかし現状はできていないと言わざるを得ない。検査部において個人の一年間の到達目標と行動計画を決めているが、その決め方は、私と個人が面接し話し合いその人のできると思われる到達点で決定し行動計画を決め、半期で「実行状況」の報告を受け修正し、1年後に最終面接でどの程度達成できたか評価をしている。しかし、前回にあったように検査部の目標は私個人が立てたものであり、係の目標もあいまいであり「仕事を正しく評価し皆が納得のいく仕事ができるようにマネジメントされている職場」でない中での個人の目標の評価は中途半端であったと反省させられる。
『到達期限と到達目標が決められている場合は全員で「仕事が評価されるシステム」になっており、誰でも評価に参加出来、関係者全員で結果をともに味わうことができる。』とある。今年度はこのともに味わうことを最終時期に検査部全員で行ってみようと思う。
私の中での「評価」が2分化されている。この文章で書かれている「評価」と実際に行われている「評価」である。読みが浅いために統合できないでいるのか不安である。実際に行っている県「評価」は、誰かと誰かを比較し点数配分された評点をつける相対的評価であり、実際に給料に反映される。「ご飯炊き比べ」の1等賞のように単純につけられるのだろうか?どのようにすればこの評価法は改善されるのだろうか?今なお疑問であり私を悩ませている。

田村ひろみさんの、
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第5番目」の到着でした。
ありがとうございました。

田村ひろみさんの「評価」に対する悩みは深い。
管理者の誰もが持っている「評価」に対する苦しみと悩みは、
現実と評価との矛盾から来ていることが多い。
だが「評価」に対する考え方をちょっと変えて、
「評価」は人を育てるための「道具」と捉えれば、
その悩みはかなり軽減されるのではあるまいか。
田村ひろみさんは、
今の自部門の「評価のあり方は中途半端であった」と、
と反省的にとらえているのだから、
今年はその「評価の方向性を変革する初年度」と位置付け、
「部門目標」「係目標」「個人目標」の立て方を係長会で相談しながら、
「人材育成のための評価のあり方」を模索してみてはどうであろうか。
「評価のあり方」を俎上に乗せて議論するのには躊躇いがある人でも、
「人材育成」に対して不賛成の人は居ないのではなかろうか。
そして現実の検査部での「評価」を皆が納得できるものに育てて行きながら、
県の「評価」にその結果を少しづつ反映させて行くしか法はあるまい。
県全体の評価方法を変革させる為には、
愛媛県(あるいは日本)にもオバマが出現するのを待たねばなるまい。
先ずはその前に「内部固め」から始めようではありませんか。

ではでは。 (by 坂部正登)

Tuesday, November 04, 2008 7:02 PM

 

組織を生き生きさせる実際的方法
「評価」を読んで

ヒカリ(株)中岡 章

はやいもので私がヒカリに入ってもうすぐ10年目を迎えることになるのですが今まではずっと上司から評価される側でこの評価という意味さえも深く考えたことはなかったようにおもいます。
ところが現在では私も部下を2人かかえるようになり、上司から評価されることはかわりないんですが、逆に私の方も部下を2人評価するようになり、評価の重要性というものを強く考えるようになりました。
毎年上期と下期1回ずつ人事効果表にそって部下を評価するのですが、その評価の仕方が私にとっては非常に難しいのです。
この本の中には「評価」とは1つの仕事に区切りをつけそれまでの進歩状況の確認と出来栄えの見直しをすることにより、次なる仕事の目標と計画の追加修正がおこなわれ、仕事の中身がよくみえるようになりその能力を向上させることができるとかかれている。
果たして私が部下をこのように素直に評価できているのかと問われると残念ながらイエスとはいえないように感じます。
なぜ部下を素直に評価できていないのか、私の場合は評価するのにいきずまった時にどうしても人物評価に頼ってしまっているように感じられます。
この人物評価というのは物事を素直にみれていないこととは頭の中ではわかっているものの中々その中から抜け出せないで居るのです。
これは非常に重要な事でこの本の中で著者が一番いいたかったこと、それは物事や人物を素直にみれないでいる内はその物事や人物の本質が見えていない証拠でその本質が見えるようになって初めて意味のある評価ができるということなんでしょうね。

中岡章さんの、
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第6番目」の到着でした。
ありがとうございました。
             
中岡章さんは最近生産部焼鈍係長となって、
評価される立場から「評価する立場」に立つようになり、
「評価」の難しさに直面するようになっていたので、
今回の「評価」の宿題がタイムリーだったようですね。
でも現実の職場での「評価」というものが難しいことには、
変わりありません。
中岡章さんもこの「レポート」の中で云っているように、
上司として「部下と部下の仕事を素直に見えていない」と、
「どうしても人物評価に陥ってしまう」と云っています。
でも「素直に物を見るようにならないと」というと如何にも、
「人間的に成長しないといけない」みたいに感じてしまいますが、
そうではなく仕事の「達成期日」「達成目標」を決め、
そのための「行動計画を立てる」というように、
中岡章さんが会社で普段やっている「課題」を待たせる、
ということをキチンと徹底させることが大切なのです。
そして「課題」の「進捗状況」と「達成度」を測るものが、
すなわち「評価」なのです。
中岡さんの会社では「課題」をキチンと持たせた仕事を、
持続している「活性化した組織体を目指している会社」なのに、
いざ「評価の頃」となると管理者の気持ちが萎縮してしまって、
普段の「仕事」と「評価」が別物になってしまっているように、
感じられてしまうのでしょうか。
一度会社全体で「組織活性化を目指す会社の評価」とは、
如何にあるべきということを皆さんで、
真剣に問題提起してみては如何でしょうか。

ではでは。 (by 坂部正登)

Wednesday, November 05, 2008 9:30 AM

 

組織を生き生きさせる実際的方法
            「評価」を読んで

2008年10月28日
ヒカリ株式会社 総務経理係 北野 諭

「評価は人を直接評価するものではない。」「評価で人を育てる極意は、結果をともに味わう場面を演出することである。」
「評価」という言葉を聞くと私は「人事考課」のみを連想していましたが、それは間違いであることに気づかされました。
ヒカリではいろいろな行事があります。二年に一度、各チームに分かれて二日間かけてコマ地図を便りに歩く「歩行ラリー」、毎年一月末に会場を丸一日貸り切って各部署ごとに課題発表を行う「業務課題発表会」、二ヶ月ごとに身近な改善事例を発表する「ものづくりラリー」など、このような行事は、社員皆で「結果をともに味わう場面」を演出する「評価の仕方の一つ」であるので、大切にしなければならない「ヒカリの企業文化」であると再認識することができました。

北野諭さんの、
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第7番目の到着でした。
ありがとうございました。

北野諭さんの今回の「レポート」は、
自社の「評価」状況を他社の人にも分かり易く書かれている。
「評価」とは「人事考課」であり「人物評価」である、
というのが普通の「評価」の捉え方でるが、
北野さんの会社では「結果を社員とともに味わうという場面」が、
普段の企業運営の中に散りばめられていると云う。
その一つが二年に一度の「歩行ラリー」であり、
もう一つが年に一度の「業務課題発表会」であり、
さらにもう一つは二月に一度の「ものづくりラリー」である。

「評価で人を育てる極意である結果をともに味わう行事」も、
マンネリ化してしまうとその効果は半減してしまうし、
そういう「行事化されたもの」だけでは「人は育たない」のである。
やっぱり何といっても年に一度やってくる「定期的な評価」が、
キチンと「人離れした評価」に照らし合わせて整っていなくては、
ならないのである。
中岡章さんのコメントにも書いたことであるが、
組織活性化を目指す会社のあるべき、
「評価システム」は如何にあるべきかということを、
社員の皆さんで再考し、
再構築するときに来ているのではないだろうか。

ではでは。 (by 坂部正登)

Thursday, November 06, 2008 2:18 PM

 

組織を生き生きさせる実践的方法  4回目

作成:2008年11月11日
潟~ロクテクノウッド 生産管理室
 都築良夫

 評価は仕事に区切りをつけるもの。
私の職場でも仕事はやはり連続していて区切れるところが無く、マンネリ化していってしまう事が
多々あります。現在私は新製品の生産準備の進捗を見ていく担当になっており、その際に、1つの
問題が大きすぎて時間が掛かる対策課題はやはりだらだらなってしまい集中力が持続せず解決しないまま納期近くになってバタバタしています。やはり定期的に仕事の評価をして一旦ケジメをつけてその仕事の進捗状況や出来栄えを確認して見直しをする必要があると感じました。この出来栄えを確認する事でどこまでのレベルで仕上げるとか、また新たな問題の発見をする事が出来て次のステップに進め、より完成度の高い対策になっていくと思います。
 ただ、最初に“量と質の目標”を決めておく必要がある。
これが非常に難しくて、数々の問題を対策部署の担当に割り振っていくのですが、ある担当に対策点数が集中してしまい、仕事の量の部分でうまくバランスが保てずにいます。進捗担当としては対策項目を各担当に割り振ってみたものの期日までには多分出来ないだろうなと思いつつ進めているのが現状です。やはり、まず最初に到達目標の期日と到達目標の質的なレベルをハッキリさせてスタートする事が重要なのだと痛感しました。

都築良夫さんの,
「愛媛実践塾・宿題Cレポート」は、
「第]U期生・第8番目」の到着でした。
ありがとうございました。

都築良夫さんの「レポート」は、
「評価」という問題の核心を突いています。
そうなんです、
「評価」とは「仕事の一区切り」を付けるということなのです。
普段我々は「仕事の区切りをつけない」から、
いつまでもダラダラとした仕事になってしまうのです。
誰にも説明できる仕事があるわけでもないのに、
ダラダラと残業をしている会社や職場がありますよね。
「残業が美徳」と云わんばかりに。
定時刻が終わっているにもかかわらず、
皆が職場にいることが「美徳」になっているのは、
「マンネリ化」の最たる「結果的な姿」なのです。
それと同じように「評価」は「人を評価」するもの、
と思っている組織体も少なくありません。
それでいて「人が人を評価できるわけが無い」などと、
うそぶいているのです。

そうではなく「評価」とは、
「仕事の出来栄えを評価」するものなのです。
そのためには年度の初めからハッキリとした「課題を持ち」、
その「到達期日」と「到達目標」をしっかりと決めておくことです。
年度の初めにこれだけのことを決めておかないので、
年度末になって慌てて「人物評価」をする羽目に陥るのです。
「評価」とはそもそも「人を成長させるための道具」なのです。
「人物評価」では人は育たないどころか反発を生み出すだけの事。
そういう「評価」はどこかが間違っている考えないといけませんね。
都築さんは「到達期日」と「到達目標」を決める事が中々難しい、
と云っていますが、
「評価」の場面になってから「人物評価」から逃れられる方法は、
これしかありません。
幸いにも都築良夫さんの職場は新しい職場ですから、
心機一転してまあとにかく取り組んでみようではありませんか。
面白い結果が現れてくること間違いありませんから。

ではでは。 (by 坂部正登)

Tuesday, November 11, 2008 9:28 AM

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